5.お休み処を後にして
1.手作りガラスの家『磯部家』を訪ねて
最初に手作りガラスの家『磯部家』を訪ねました。実は私も磯部です。磯部の苗字は蒲原に多く、私の先祖も蒲原に住んでいたそうです。明治の頃、今の清水区真砂町に引っ越したそうです。もしかしたら、この手作りガラスの家『磯部家』も私の遠い親戚かもしれません。
2.旧五十嵐歯科医院を訪ねて
『旧五十嵐歯科医院』を訪ねてみました。ここで、案内してくれたのが『なまこ壁の家』の吉田さんでした。いつもこの『旧五十嵐歯科医院』で案内人をしているとのことです。この『旧五十嵐歯科医院』は大正の初めに歯科医院として開業されたそうです。この当時は『歯科医院』はおそらく珍しかったと思います。敷地は予想外に広く、かなり繁盛したのではないかと想像されます。
ただし、当時の歯科治療の機械を見ると、少し恐ろしい感じがします。
『旧五十嵐歯科医院』には二階の一室が治療室として使われており、隣には技巧室が備えられていました。純和風の待合室と、田中伯爵専用の待合室がありました。モダンな建物で、今では時々音楽会をすると聞いております。
また、今回出向いた時には親子で大きな柏餅を作るイベントが行われていました。
3.志田邸を訪ねて
『志田邸』では『志田邸』のパンフレットをもらいました。せっかくですので、このパンフレットを少し引用させて頂きます。
志田家は蒲原宿内で米・塩・油等を扱っていましたが、江戸後期には醤油の醸造も手掛けるようになり、昭和初期まで「やまろく醤油」の商品名で製造・販売していました。(この醤油工場は東海道の宿場内でほぼ当時のまま現存・公開されている唯一の工場と言われ、日本におかえる初期の工場として「東海道町民生活歴史館」が公開しています。)
明治年間に増設された西側平屋部分には板の間、8畳座敷2室、洗面所があり、座敷からは坪庭が見られます。東側の江戸期建築と比較すると、明治建築はきめ細かな造作になっていて、時代による建築状況の変化が見うけられます。(なお、江戸期の手洗いは家の外に造られていますが、このような配置が江戸時代の一般的な配置でした。)
志田邸を見学した後、『よし川』でお昼のランチを食べて解散です。