4.根岸錦蔵(ねぎしきんぞう)と流氷観測
さらに根岸錦蔵の活躍は、北海道からオホーツクにも及びます。
「北海道東北が、夏は冷害だと米が取れないからと言って娘を売ったりした時代に入っていきます。
女満別空港(めまんべつくうこう)
オホーツク海沿岸の網走市中心部から南西に約22km(バスで約30分)に位置する空港である。近傍には網走市と北見市を結ぶ国道39号が走る。空港周辺地域には知床国立公園、阿寒国立公園や網走国定公園などが存在する。空港が位置する女満別町は2006年に東藻琴村と合併して大空町となったが、空港の名称は変更されなかった。
当初は現在位置の北側隣接地に開港。冷害克服のため、オホーツク海の流氷や気象観測を飛行機で行おうとしたことが開港のきっかけである。その後、大日本帝国海軍の美幌第二航空基地となる。このため、今でも空港周辺には掩体壕(えんたいごう:敵の攻撃から守るための施設)など当時を偲ぶ施設が多く残されている。
冷害対策として、日本の農林省(現農林水産省)は、農業試験場などで冷害に強い米を作らなきゃならないということで、農林、何号、何号、何号、何号と掛け合わせていくんです。どんどん、どんどん、掛け合わせていくんです。それが後のコシヒカリになったんです。
流氷観測はね、2月、3月、時には4月になる時もあったけど、田植えに間に合うようにやったんです。そして、流氷観測の結果を見て、農業試験場からこういう稲を植えるようにと指示があったのです。
根岸錦蔵の流氷観測は、女満別(めまんべつ)で昭和10年から19年まで毎年毎年、ずっと続けられてたんです。」
流氷観測はね、2月、3月、時には4月になる時もあったけど、田植えに間に合うようにやったんです。そして、流氷観測の結果を見て、農業試験場からこういう稲を植えるようにと指示があったのです。
根岸錦蔵の流氷観測は、女満別(めまんべつ)で昭和10年から19年まで毎年毎年、ずっと続けられてたんです。」
測候所の嘱託として収入は安定したようですが、やはり飛行機は高価な物でした。
「その時使っていた飛行機というのは」
「海軍と陸軍の払い下げ。皆こういう飛行機だから複葉でしょう」
「主翼が、上下の二枚ある複葉機ですね。」
「そう、主翼が二枚になっている馬力が少ない飛行機でした。しかし、それでも飛行機は高価なもので根岸錦蔵は金がないから、鈴与六代目の鈴木與平さんや田中光顕に応援してもらったんです。
具体的には、壊れた飛行機を払い下げてもらったのです。そんな壊れた飛行機を4機か5機分かき集めて、飛行機を作ったんです。 根岸錦蔵は器用で、主翼とか尾翼だとかプロペラとか脚だとか胴体とか尾翼とか皆かき集めて作っちゃうんです。その飛行機で飛んだのです。
「海軍と陸軍の払い下げ。皆こういう飛行機だから複葉でしょう」
「主翼が、上下の二枚ある複葉機ですね。」
「そう、主翼が二枚になっている馬力が少ない飛行機でした。しかし、それでも飛行機は高価なもので根岸錦蔵は金がないから、鈴与六代目の鈴木與平さんや田中光顕に応援してもらったんです。
具体的には、壊れた飛行機を払い下げてもらったのです。そんな壊れた飛行機を4機か5機分かき集めて、飛行機を作ったんです。 根岸錦蔵は器用で、主翼とか尾翼だとかプロペラとか脚だとか胴体とか尾翼とか皆かき集めて作っちゃうんです。その飛行機で飛んだのです。