第四十七話 空の開拓者・根岸銀蔵とその痕跡
- 旧根岸飛行場旧根岸飛行場
旧 根 岸 飛 行 場 跡 地
住 所:〒424-0901
静岡市清水区三保1074番地の8(三保公民館)
静岡県静岡市清水区三保2200-1(旧根岸飛行場跡地)
電話番号:054-335-0021(三保公民館)
営業時間:不明(三保公民館)
休 館 日 :日曜・祭日(三保公民館)
(注)三保公民館は今では、三保生涯学習交流館と呼ばれております。
公民館は、社会教育法の定めにより運営される教育機関とされており、法律上の利用制限が多いようです。そこで、生涯学習交流館と呼び名を変更したようです。この結果、地域の自治組織の活動拠点としたり、営利目的での利用、企業や特定非営利活動法人による利用が比較的ゆるくなったそうです。
今後は、『三保生涯学習交流館』と正式名称で記載いたします。
今後は、『三保生涯学習交流館』と正式名称で記載いたします。
目 次
ほとんどの清水の人が、名前すら知らない『根岸飛行場』。この『根岸飛行場』は、大正末期から昭和初期にかけて三保にあったのです。『根岸飛行場』の『根岸』とは地名のことではありません。『根岸飛行場』は根岸錦蔵が造った飛行場なのです。
では、間違いなく清水で最初に飛行機に乗った根岸錦蔵、そして飛行場まで作った根岸錦蔵とはどういった人物なのでしょうか?空の開拓者・根岸銀蔵について、井口さんに聞いてみたいと思います。
静岡県には、根岸錦蔵(ねぎしきんぞう)より前に飛行機と出会った福長朝雄という人物がおります。この福長朝雄は日本で最初に飛行機に乗った徳川大尉の押しかけ助手になった人物です。
その後、福長朝雄は天竜川の川岸で『福長飛行機研究所』を設立し、飛行練習生を募集したのです。この飛行練習生に応募した根岸青年には、新しい大空との出会いが待っていたのです。
根岸銀蔵は、三保に飛行場を造りたいと計画します。飛行場といっても格納庫が中心で、滑走路は砂を固めた平坦な場所です。この格納庫を造るのに、当初は県の許可が下りませんでした。ところが、根岸錦蔵はよほど人に恵まれたとみえ、静鉄の熊澤一衛とか政治家・田中光顕、六代目鈴木与平などの力で飛行場を作ることに成功したのです。その後、錦蔵は魚群探査や高層気象観測の仕事に従事いたします。
気象観測隊員となった根岸錦蔵は、中央気象台から流氷観測の仕事を命じられます。女満別(めまんべつ)、今の大空町に行って、飛行場を突貫工事で完成させた根岸錦蔵は流氷観測に没頭いたします。
女満別には、流氷観測記念日80周年を記念して、『流氷観測記念碑』が建っております。
さて、いよいよ根岸飛行場の跡地を訪ねて清水区三保に参りました。実は、この三保には根岸飛行場の痕跡などなにもないのです。
頼りになるのは、『甲科予科練記念碑』だけです。この『根岸飛行場』は、その後清水海軍航空隊が利用したのです。したがって、清水海軍航空隊の痕跡が唯一残った『根岸飛行場』の痕跡となるのです。