第四十六話 琉球使節~手習いの間~五百羅漢(清見寺)
- フェルケール博物館フェルケール博物館
清 見 寺
住 所:〒424-0206
静岡県静岡市清水区興津清見寺418-1
電話番号:054-369-0028
営業時間:8:30~16:30
拝 観 料: 大 人:300円
中高生:200円
小学生:100円
目 次
清見寺には朝鮮通信使だけでなく、琉球使節の歴史もあります。琉球は、慶長14年(1609)薩摩藩に征服されてしまいます。翌年の慶長15年、江戸の将軍に挨拶に来た(ぐしちゃんおおじ)が駿府城下でお亡くなりになってしまいます。
その具志頭王子のお墓が、この清見寺に建てられたのです。その結果、この清見寺は琉球使節が必ず訪れるお寺となったのです。
写真は400回忌法要のための沖縄舞踊
日本庭園は自然の風景を手本にして造形しているため、西洋庭園と違って、「曲線による造形と左右非対称」なのが大きな特徴です。 直線的な庭園はほとんど見られません。
清見寺のお庭は、築山池泉回遊式庭園(つきやまちせんかいゆうしきていえん )と呼ばれ、池の端や周囲を歩いてめぐりながら、その景色を色々な角度から楽しむための庭園であります。
大方丈の裏手に『家康公手習いの間』という小さな部屋があります。北側の寒々しい部屋なのですが、ボランティアガイドの伏見さんによると、後の時代に建てられた部屋とのことです。
武田との戦に備え、家康が清見寺を焼いてしまったからです。
寒々しい狭い部屋で、とても家康が勉強したとは思えないとの意見もありますが、この当時、個室の勉強部屋を与えられる人物は少ないです。その意味でも後から造られたと考えるべきかも?
昔は、ホテルとか旅館ではなく、偉い人はお寺に泊まったそうです。明治天皇もそうでした。清見寺のホームページには、「明治2年と同11年は明治天皇の 鳳輦( ほうれん) を迎え、又大正天皇、皇太子に在りし時代しばしば御成りあり。時には滞泊せらるることもありました。」と記載されております。
なお、デジタル大辞泉の解説によりますと「『ほうれん【鳳輦】』とは、屋形の上に金銅の鳳凰(ほうおう)を飾った輿(こし)。天皇の晴れの儀式の行幸用のもの。鳳輿(ほうよ)。鸞輿(らんよ)。転じて、天皇の乗り物の称。」とあります。
お寺にとって大事なお客様をお迎えする特別な部屋があります。
書院と小書院(こじょいん)と呼ばれるお部屋です。小書院と呼ばれるお部屋が、お寺の最上室です。
小書院には、琉球使節から頂いた蛇味線(じゃみせん)があります。ご丁寧に、全部修復してしまったため、古さが感じられない新品になってしまいました。せめて、直す前に写真を撮って欲しかったです。
潮音閣(ちょうおんかく)に来ました。この潮音閣は、三面ガラスで覆われております。この潮音閣からは、駿河湾が見えます?昔は正面に三保の松原が見渡せたそうです。残念ながら、今ではビルが建ち、さみしい感じがします。
鐘楼が目前に見えます。この鐘楼の鐘つき棒が低い位置にあります。普通は、肩より上で鐘を突くのですが、清見寺では腰のあたり
で鐘を突くそうです。 五百羅漢(ごひゃくらかん)、数えるのも大変な数の羅漢が騒然と並んでおります。一体、一体の顔が違います。ボランティアガイドの伏見さんが、「亡くなられたご先祖様に似た方が何人かおります。そのご先祖様に似た方と心のやりとりをしてください。」とおしゃっておりましたが、ご先祖様の顔はよく分からないので、とりあえず暇な時に、自分に似た羅漢像を探してみようか思います。