3.清見寺の建物の中に入って
いよいよお寺の建物に入ります。
「お寺の中へ入ってきました。こちらはまず方丈と呼ばれる建物です。」
「これは方丈と呼ばれるところですが、今から入るこの方丈130畳敷きの広さがあるものですから、一般には『大方丈(おおほうじょう)』と呼ばれております。」
「この『大方丈』は、お寺の本堂とも考えていいわけですね。」
「これは方丈と呼ばれるところですが、今から入るこの方丈130畳敷きの広さがあるものですから、一般には『大方丈(おおほうじょう)』と呼ばれております。」
「この『大方丈』は、お寺の本堂とも考えていいわけですね。」
「そうです。それじゃあ須弥壇(しゅみだん)を見て頂きます。この須弥壇の仏像は『十一面の観世音菩薩』です。この仏像が一番後ろに、安置されているんですけれども、その像の手前に背の高いご位牌がずっと並んでいますね。」
「はい。」
「はい。」
「ここに安置されているのが、徳川歴代将軍のご位牌であります。ただし、15代将軍の慶喜さんだけはありません。慶喜さんは神道(しんとう)でお葬儀をされたんだそうです。神道でお葬儀をされた場合には、ご位牌は造らないということなので、ご位牌がないわけであります。したがって、正確に言うと徳川家将軍の14代の家茂公までのご位牌が安置されております。
「はい。この清見寺には1300年もの歴史があります。数々の歴史がありますが、古い時代から言いますと足利尊氏公が、この時代に荒れてる清見寺を再興してくれたとか言われております。
次には、今川さんがさらにまた荒れてる清見寺を立派なお寺にしてくれた。これはあの今川家の住職(臨済寺)であり、軍師の太原雪斎(たいげんせっさい)の時代です。その時代こそが徳川家康さんが、竹千代さんの時代になるわけです。
そのあと秀吉さんもこのお寺を大事にしてくれましたね。で、もちろん家康さんになってからですね、ずっとこのお寺を265年間大事にしてくれたのです。
このように、清見寺は日本の歴史を形作ってきたような方々と、ずっと関係を持ってるお寺っていうことなります。」
次には、今川さんがさらにまた荒れてる清見寺を立派なお寺にしてくれた。これはあの今川家の住職(臨済寺)であり、軍師の太原雪斎(たいげんせっさい)の時代です。その時代こそが徳川家康さんが、竹千代さんの時代になるわけです。
そのあと秀吉さんもこのお寺を大事にしてくれましたね。で、もちろん家康さんになってからですね、ずっとこのお寺を265年間大事にしてくれたのです。
このように、清見寺は日本の歴史を形作ってきたような方々と、ずっと関係を持ってるお寺っていうことなります。」