2.神明山4号墳について
(清水歴史探訪より)
鳥の声が響く参道を進むと、拝殿の手前から右に入る小道の先に、フェンスに囲まれた石室(せきしつ)が見えてきます。
「はい。古墳時代がですね、4世紀、5世紀、6世紀、7世紀ぐらいまで続く時期の時代を古墳時代と言いますけれども、4号墳というのは6世紀から7世紀初頭の物で、古墳時代の後期の物になります。墳丘(ふんきゅう)の直径がだいたい18メートルぐらいの古墳だろうという風に推測されています。で、今見ていただいている石室の長さは10.2メートルの長さを測ります。ある程度大きい部類に入ると思います。
「そうですね。はい、実際はこの入口の部分は人の頭ぐらいの石で詰め込んでしまって塞いでしまいます。で、その上に土を盛るわけですけれども、古墳自体はもう少し盛ってしまうので大きくなります。入口から2メートルぐらいのところに、縦に細長い石があるのがお分かりになりますでしょうか。」
「はい。石垣がだんだん入口の方から高くなってきていって、1メートルちょっとぐらいの高さになったかなというところで、そこだけ一本、柱のようになってますね。」
「はい。それがですね、入り口と中の部屋を分けるための石になっています。で、この石から向かって右側が入口の通路になる部分ですね。で、左側が玄室(げんしつ)と呼ばれる部屋なんですけれども、実際に埋葬される部屋の中になります。本来は天井の石があるんですけれどもそれがなくなった状態で、天井の石が奥に3枚見られるような状態ですね、はい。」
「この天井の石もかなり大きな石ですね。」
「はい。石垣がだんだん入口の方から高くなってきていって、1メートルちょっとぐらいの高さになったかなというところで、そこだけ一本、柱のようになってますね。」
「はい。それがですね、入り口と中の部屋を分けるための石になっています。で、この石から向かって右側が入口の通路になる部分ですね。で、左側が玄室(げんしつ)と呼ばれる部屋なんですけれども、実際に埋葬される部屋の中になります。本来は天井の石があるんですけれどもそれがなくなった状態で、天井の石が奥に3枚見られるような状態ですね、はい。」
「この天井の石もかなり大きな石ですね。」
「はい。具体的にどんな方が埋葬されたのかという、そういったことは分かってるんでしょうか。」
「ええ。この古墳は今から1300年か1400年ぐらい前の古墳だっていうことなんですけれども、だれかっていうのは分からないんですが埋葬されている物の質、量からですね、この地域を治めていたぐらいの方だろうという風な推測はできます。
「ええ。この古墳は今から1300年か1400年ぐらい前の古墳だっていうことなんですけれども、だれかっていうのは分からないんですが埋葬されている物の質、量からですね、この地域を治めていたぐらいの方だろうという風な推測はできます。
静岡、清水平野で言いますと、静岡に東海大学さんの裏に谷津山(やつやま)っていうのがありますけれども、その谷津山の上に大きい古墳がありますが、そこの近くにはツインメッセっていう施設がありますけれども、そこに拠点的な集落があってっていう関係は分かっているんですけれども、ここもですね、かなり有力な方のお墓ですのでそれと直接結びつく拠点的な集落っていうのがこの近くにあるはずなんですけれども、まだそこまで、それがどこかっていうところまでは分かっていないっていうのが実情です。」