3.現在も残っている文化財
(清水歴史探訪より)
失われたものがある一方、人々の手によって現在まで伝えられているものもあります。
「昔から伝わる文化財などは、どんなものがあるんでしょう。」
「神社には文化財と言われているものは2つありまして、釣燈籠(つりどうろう)といって、室町時代から伝わっているもの、それと鰐口(わにぐち)というものがありまして、これもやっぱり室町時代から伝わっているものでございます。
あとは、無形文化財ということで、『龍勢(流星)煙火(りゅうせいはなび)』も文化財に指定されております。」
「『龍勢(流星)煙火(りゅうせいはなび)』というのが、非常にこれが有名ですね。」
「そうですね、『龍勢(流星)煙火(りゅうせいはなび)』は種子島に火薬が伝来した江戸時代になりましてから、『のろし』ということで発達しました。
現在、草薙では『青龍勢(あおりゅうせい)』というのが正式な名前なんですけれども、伝わっております。
昼間やるのが、『龍が勢いよく昇る』ということで、龍の勢いという、龍勢。
夜やるのが、『ながれぼし』と書きまして、流星。
このように、龍勢(流星)という煙火(はなび)が元禄年間から行われております。
私が子供の頃は、4年に1回ということでございますが、文化財に指定されるようになりましてから、毎年煙火(はなび)が奉納されております。今年も9月22日・祝日になりますけれども、この日を実施予定にしておりまして、雨天の場合には、その後の土曜日・日曜日を予備日としてとっております。」
「この神社の境内にも、龍勢(流星)が奉納されているようですね。」
「はい。レプリカということで、実物大の煙火(はなび)が飾られております。」
「これを見ますと、大きなものだなと思いますね。」
「そうですね。成功率は60~70%と言われていますが、上手に上がれば、2~300メートルは上がります。
また、昼間の龍勢と夜の流星とは全く違います。昼は色のついた煙が出ます。夜は、色が付いた花火が出るという事で、非常にきれいなものでございます。
少なくとも、一度は見る価値があります。
また、この龍勢煙火(りゅうせいはなび)というのは、全国にもたくさんあるわけではなくて、岡部の龍勢煙火(りゅうせいはなび)、草薙の龍勢(流星)煙火(りゅうせいはなび)、それとあと秩父、埼玉県になりますけれども、ここにもありまして、3大龍勢煙火(りゅうせいはなび)といわれております。」
龍勢煙火と流星煙火について
現在も毎年実施している龍勢煙火は、岡部の朝比奈大龍勢煙火と秩父吉田町の大龍勢煙火それに草薙の大龍勢煙火だけでした。しかし、流星煙火は米原の流星と瀬古の流星がたまに揚げられているようです。
流星打ち上げ・米原市
滋賀県選択無形文化財となっている「流星」の打ち上げが、米原市グリーンパーク山東周辺の田んぼで実施された。
流星は関ケ原の戦いで、西軍の石田三成軍が佐和山城にいる味方へ戦況を伝えるために使用したともいわれており、今日まで旧中山道周辺の集落で伝承されてきた。流星の製造技術は火薬の調合も含め、地元の人たちが先輩や長老から口伝によって学んだものである。江戸時代に入り大きな合戦がなくなると、流星は戦いのためのものから、娯楽のためのものへと変化していったようだ。地元の祭りや大きな建物の完成、霊仙山の山開きなど、祝い事のたびに打ち上げられる縁起物となった。
しかし次第に火薬の取り扱いや打ち上げ場所などの規制が厳しくなり、流星の製造と打ち上げが困難になっていった。
今年は2年ぶりの開催で、米原市商工会が主催し、米原市流星保存会が打ち上げを行った。