次の展示室には、たくさんの船の模型が並び、近くからその構造をじっくり見ることができます。
「こちらは、約10分の1の和船の模型になります。和船というのは、日本古来の船の造り方で造ったものを和船という風に呼んでいるんですけども、10分の1でもかなり大きい、3メートル以上あるような和船もありますけれども、いくつでしょう、1、2、3、4、5、6、7、8つ紹介しています。」
弁才船をつくる
「洋式の船と和式の船の大きな違いといったら、どんなことなんでしょうか。」
「ちょっとこちら壁の展示をご覧になってください。
日本の船を造る道具類がかなり紹介されているんですけれども、この中で鐔鑿(つばのみ)、と書いてある、この刀のつばがついたような鑿(のみ)ですね、こちらと板のように長い、これは釘なんですけれども、船釘(ふなくぎ)というんですけれども、この二つが和船をつくる特徴的なものですね。
今、その上に板があって、使い方を紹介しているんですけど、二枚の板をつなぐような穴を鐔鑿(つばのみ)で開けます。」
鐔 鑿 (つば のみ)
柄の根元に近い部分につばをつけたのみ。大釘を木に打ち込むための釘穴をあけるのに用い、たたき込んでからつばを逆にたたき上げて抜く。主に船大工が用いた。釘差しのみ。
ふなくぎ【舟釘・船釘】
「細い穴があくわけですか。」
「そうですね。細い穴がずっとあきます。
その開いた穴は二枚の板の中を貫通しています。ここに、和釘といいますか、この釘を落とし込みます。
落とし込んだ後に、ちょっと釘を打った穴が開いていますので、そこに他の木を埋め込んで見えないようにしていきます。
そうすると、二枚の板が一枚の板になりますよね。
和船というのは、こういう風に板を水平につないだりとか、直角につないだりとか、斜めにつないだりとかしまして、ずっと増やしていくといいますか、立体的にくっつけていって船の形にしてしまうという、そういう作り方をしています。ですので、かなりの技術が必要になってきますね。」
「はい。そうしますと、つなぎ目から水が漏れたりはしないわけですか。」
「しませんね。それが技術なんですけども、当時の船を造るときには、この間に木の皮をすりつぶした、そういうものを漆と一緒に混ぜて、埋め込んでいくんですね。そして防水をしておきます。」
「パッキングや接着剤のような感じなんですね。」
「ですから、防水を何年かに1度くらいは必ずやり直して、何年、何十年も船を使うということです。」
「これが和船独特の技術と。」
「そうですね。分かりやすい考え方だと、日本の家の造り方でしたら、ツーバイフォーが近いのかな。普通の日本の古来の家の造り方だと、柱を立ててそれから壁をこう造っていきますよね。ツーバイフォーというのは壁でもたせていくでしょ。作り方が、和船の造り方にちょっと似てますね。」
「はい。そうしますと、洋式の船というのは、柱からいくわけですか。」
「洋式の船は、人間の体で言ったら背骨のようなものがまず下に通っていますよね。骨格というんですか。
それから、肋骨に近い物から造られておりまして、その間に板を張っていきますよね。ですから、日本の船とはちょっと違いますね。」
「ツーバイフォーに似ているというのは、なんだか日本の方が進んでいたような感じもありますね。」
「そうですね、ちょっと何か感覚的には難しい作り方していますね。」
「やはり日本人の手先が器用だったんでしょうか(笑い)。」
「そうですね(笑い)。」
「帆の形も、現在の船とはだいぶ違いますね。」
「そうですね。基本、日本の船は帆が四角を使っておりますので。」
「後ろからの風を受けて進むという考え方なんですか。」
「それが大きいですね。」
「ここにあるような船でいったいどのくらい遠くまで行けたんでしょう。」
「日本の場合は、一番発達する時期に鎖国をしておりましたので、そんなに遠くといいますか、太平洋を渡って、ということは想定して造られてはいませんね。
先ほども申し上げましたように、日本の船には、人間の肋骨にあたる部分というのはありませんので、構造的に見ると、ちょっとやっぱり弱いところがあります。
といいますのは、太平洋とか、大西洋、荒波を越えて外に出て行くということは想定して作られてはいないです。
それよりも、荷物をたくさん積んで、港から港に物を運ぶ、それを考えて作られておりますね。嵐が来るときには風待ち港に避難をする、というそういうことを前提で造っております。」
「そうしますと、近距離向け、大量輸送向けという感じなのでしょうか。」
「そうですね。そう言えると思います。ですから、甲板も、日本の船の場合にはくっつけられていないですね。全部取ることができて、甲板を取って、荷物を山積みにすることができましたので。」
洋船と和船のちがい
1 用途
洋船(おもにヨーロッパの帆船)は外洋を渡る長距離輸送を目的として開発されたが、和船は日本国内の沿岸輸送を主目的として開発されてきた。
2 船の性能
洋船の船底は丸く浅瀬に乗り上げると横転してしまう。一方和船は底が平らなので陸に引き揚げることができる。また洋船が密封された“樽(たる)”であるなら、和船はふたのない“桶(おけ)”であり、高波にあうと水船(みずぶね)となる弱点があった。
3 船体の構造
洋船はろっ骨(あばら)に板を張り詰めて造るため細い木材でも大量にあれば造船できる。和船はろっ骨がなく、大きな厚い板を大釘で止めて構造にする。杉の良材に恵まれた日本ならではの大板を構造にした船である。
日本人の技が生み出した、日本独自の船の形。太平洋に乗り出すことはできなくても、貨物の輸送に特化した、日本の風土にぴたりと合った船だったようです。
「最後に、このフェルケール博物館を見学していただくときに、こういうところを見ていっていただきたい、というポイントはありますか。」
「そうですね。清水の港、紹介をずっとしているんですけれども、意外と他の地域で港に行ったとき、このように港の歴史とか役割を紹介しているという博物館は少ないんじゃないかなと思いますので、ぜひ清水の港、どうやって今、このような形になったとかいうのを見ていただければな、考えていただければな、と思いますね。」
江戸時代からさまざまな物流の拠点として発展してきた清水港。現在も、重要港湾として日本の海の玄関口としての役割を果たしています。フェルケール博物館には、江戸時代からの歴史や先人たちの様々な知恵が保存・展示されていました。
お話は、フェルケール博物館 学芸部長の椿原靖弘でした。
清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~
お相手は、石井秀幸でした。
この番組は、JR清水駅近くさつき通り沿いのいそべ会計がお送りしました。いそべ会計について、詳しくはホームページをご覧ください。