港が大きく発展した明治以降、清水港の貿易を支えたのは、やはりお茶でした。
「箱がいっぱい並んでいるんですが、これは何なんでしょうか?」
「はい。こちらは、明治から昭和にかけて、清水の港から海外に輸出されたお茶の茶箱になります。」
「木の箱に入っていたりするんですね。」
「そうですね。外側に、植物繊維で編んだ筕篖(あんぺら)というものを巻いてあるんですけども、その中に木の箱がありまして、湿気を防ぐようなつくりになっています。」
輸出用茶箱
日本茶を海外輸出するための茶箱は明治時代初期から以下のように変化していった。
① 初期には箱内は鉛板内張りで茶箱絵を張り付け、アンペラで包まれた後に籐紐で縛った。アンペラとはアジア南部に自生する葦科の植物で、ゴザのように編んで梱包に使った。
② ブリキ板内張りとなり、正面に文字のみの蘭字、他の面には茶箱絵が貼られた。中には小分けされたパッケージ(袋状のペーパー、紙箱のカートン)が入れられた。外装はアンペラと籐紐が掛けられ、薄紙の欄字が貼られた。
③ 戦後、日本茶の輸出先が中東やアフリカ諸国向けに移行するのに合わせて、ベニヤ板箱にマニラ麻包装、鉄帯締めになった。蘭字も印刷したものが使われた。
蘭字と茶箱
[年代:明治時代―昭和30年代]
輸出用茶箱には浮世絵と同じ木版画によるラベルが貼られていた。ラベルには日本的なデザイン画とともに英語が書かれていたため蘭字(らんじ)と呼ばれた。主に欧米へ輸出されたお茶も第二次世界大戦の前後から中東やアフリカ地域へと輸出先が変わっていった。蘭字も木版画からオフセット印刷に変わり、アラビア語やフランス語が記入されるようになった。
「そして、その上に絵がいろいろ飾られているんですが、これは何でしょうか?」
「こちら『蘭字(らんじ)』という風に呼ばれているものなんですけども、一番初期の蘭字ですね、江戸時代の浮世絵と同じ木版画で作られた、お茶のレッテルになりますね。」
「『JAPAN TEA』と書いてありますね。」
「そうですね。今でいう日本茶なんですけども、面白いのは、『JAPANESE TEA』じゃないんですよね。『JAPAN TEA』と書いてあるのが、すごく分かりやすいといいますか、面白いんですけども、ちょっと日本的なものと、外国チックなものとが融合したような面白いレッテルですね。」
「絵柄の方も日の丸のようなものがあったり、何か外人さんが描かれているものもあったり、それから福助人形のようなものがあったり、和風なものがあるかと思えば、象が書かれたりするんですねぇ。」
「そうですね。これが本当に当時の雰囲気といいますか、和風の物と海外の物とが融合した、当時の雰囲気がよく出ているものだと思いますね。」
「大変色も鮮やかですね。」
「そうですね。今、かなりブームになっておりまして、コレクターの方もいらっしゃるということです。」
「はい。さあそして、壁の上には、袢纏(はんてん)でしょうか、色々なものが並べられていますね。」
「こちら袢纏ですね。港で使われておりました袢纏類、いろんな種類が集められています。三菱の物もありますけども、赤い線が二本のもの、日本友禅になりますね。それから天野回漕店であるとか、ヤマサ・鈴与のものになりますね。」
「今も続いている企業の昔の雰囲気も、何か知られますね。」
「そうですね。今は使われることがなくなってしまったんですけれども、単純に、作業着というだけじゃなくて、こういった袢纏というのは、何かの記念の日であるとか、そういう時には着ますので、今で言ったら作業着であり、正式な外套(がいとう)としての役割もあったということですね。」
「はい。」
茶箱に描かれたエキゾチックな絵柄や、鮮やかな蘭字。そして、会社の意匠が大きく描かれた袢纏など、当時の港は案外おしゃれなものが多かったようです。