12.日蓮主義研究『現代の日蓮主義・創価学会について』
私は、『入会を強く検討するので時間が欲しい』と回答し、その場を立ち去るのがやっとでした。これが『創価学会』との最初の出会いでした。
数日後、K君ら数名によって拉致されるように『折伏』された同級生の怒りは相当なものがありました。
数日後、K君ら数名によって拉致されるように『折伏』された同級生の怒りは相当なものがありました。
次第に、創価学会による折伏は社会問題となっていきました。一般に、キリスト教やイスラム教は布教活動が極めて熱心と聞きます。しかし、日本の仏教は信者の獲得・布教活動に熱心ではありません。その背景には、日本の宗教の歴史、特に檀家制度があったことも影響あるかもしれませんし、禅宗などは布教活動はなじまないのかもしれません。
そこに、突然のように創価学会の折伏運動です。折伏運動のターゲットには小中学生も含まれていたのですから、学校ですら問題にしました。私の中学でも折伏運動には関わらないようにとの先生からの訓示もあり、反発する信者もおりましたが次第に落ち着いて参りました。
藤原弘達先生の『創価学会を斬る』は、創価学会の折伏運動が最も盛んな時に発行されました。藤原弘達先生は、発行当時は相当な迫害にあったそうです。
創価学会と日蓮主義について
私の友人には、何人かの創価学会の信者がおります。宗教について議論したことはありませんが、熱心な信者であることは有名です。彼らからは、『折伏』を受けたこともなければ、宗教を勧められたこともありません。ただ、一度だけ『人間革命』を読むよう勧められたことがありました。
創価学会の内に秘めた『日蓮主義』は、化城の昭和史を飾る『日蓮主義』とは同じものなのでしょうか?
人間革命について
人間革命(にんげんかくめい)は、宗教団体創価学会第2代会長戸田城聖によって唱えられた、同会における中心的な思想の一つである。
次に、小説『人間革命』は、創価学会草創期からのエピソードなどを小説化したものであり、戸田城聖および第3代会長池田大作による作成された。池田版『人間革命』『新・人間革命』は2015年2月10日現在で7000回の連載記録を達成しており、この記録は、新聞小説としては日本一の連載回数となっている。単行本の総発行部数は全世界で4000万部に達するとしている。
最後に、映画『人間革命』と『続・人間革命』は、創価学会の会員の動員もあり、大ヒットを記録した。しかし、報道写真を大量に使用し著作権の問題で、今では創価学会の会員でも鑑賞の手段がない幻の映画となっている。「主演の丹波哲郎が、スピーチで『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えた。」というエピソードを持つ。
2006年にシナノ企画からDVDが発売され、再び日の目を見ることになった。
創 価 学 会
初代創価学会会長・牧ロ 常三郎
明治4年 -昭和19年
「正しい宗教(法華経)に基づく人間変革を基盤に社会を変革するという『立正安国』の思想」に強く共鳴し、日蓮正宗に入信する。
昭和5年創価学会創立、新渡戸稲造、柳田國男、犬養毅ら28名が参加。
昭和18年伊勢神宮の神札を祭ることを拒否、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で逮捕。翌年、巣鴨拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去した。
2代目創価学会会長・戸田 城聖
明治33年 - 昭和33年
創価教育学会を「創価学会」に改め、昭和26年、第2代創価学会会長に就任する。7年間で75万世帯を折伏することを目標に掲げた。
また、日蓮正宗の外護という創価学会本来の目的を果たすべく、大石寺への大講堂の建立・寄贈などを行った。昭和33年(1958)に入ると、学会員に大石寺へ参詣するよう指示。
昭和33年4月1日、急性心不全で急死。
昭和29年(1954)の選挙には学会員を出馬させ政治進出を果たし、後の公明党結成の布石とする。
(参考までに)
現在の創価学会では、葬儀は友人葬で僧侶は呼びません。また、戒名もありません。
お墓は墓地公園が一般的のようです。