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 11.十二薬師の御詠歌と解説(9~12)

 

九番 馬走薬師堂 

 

曹洞宗楞厳院末 馬走堂の山

(清水区馬走556-3)

 

 

『こま走る 道をしたうて ようようと

 のぼりて おがむ るりのはなでら』

 

「昔 日本武尊 東国征伐のとき 軍馬の走り逃げたのを追って発見したと言うこの馬走の道をようやく登って、薬師如来をおがむ ありがたさよ」

 この薬師堂は元禄12年(1699)頃の創建である。有東坂村の水野氏の先祖の夢に薬師如来が現われ、「我いま藪の中に埋れて年を経たり、掘り出して供養せよ」との御告があったので、早速掘り出して御祭りした所、眼病に特に功徳があったので、村民集って薬師堂を建立したのが始まりである。

 寛保3年(1703)、文化元年(1804)、文化6年(1809)に再建、明治初年に再建・茅葺(かやぶき)を瓦葺に改めた。如来の台座に「元禄12年馬走村」と誌されている。

 この山を堂山と言うのはこの薬師堂があるためである。馬走神社の左方に当り境内に文化12年(1815)奉納の石手水鉢が残っている。

九番ヵ寺は馬走の薬師堂。
 馬走神社裏手の堂山の中腹にあり、今回廻った中では登り階段がキツくて一番苦労したかな。ご高齢の参加者には大変でしたが、それだけにご利益も期待したいところ。・・・・・・・・   
・・・・・・ 御堂の中は観られませんでしたが、こうして連れて行ってもらわねば、ここに薬師堂があって眼病にご利益があるなんて知らなかったと思います。・・・50歳を過ぎ、自分にとって視力低下は老化現象の中でも深刻な悩み。しみじみ仏縁だなあと実感し、ありがたく合掌しました。

駿河近郷十二薬師巡礼その2より

 

十番 妙音寺

 

(現在鉄舟寺佛殿の薬師如来 臨済宗 清見寺末) 村松

 

 

『くちくちや せしうのためと 親化(しんげ)して

 これが 如来の みくになる らん』

 

「ひとことひとこと、世の中の衆生のために、みずから如来はさとし導かれている。この妙音寺こそ本当に如来のおわす佛の国であろう」

  村松の妙音寺の地に昔妙音寺と言う寺があった。この寺は貞和年間(1345~1349)北矢部に移転し昌楽寺と改称した(明治初年禅叢寺へ合寺)。
 天正3年(1575)武田勝頼は久能山から 久能寺を村松妙音寺の地に立退かせて久能山を城にした。

 村松に移った久能寺は久能寺妙音院と称し千手観音を本尊とし、薬師如来を薬師堂に祭った。三尺二寸位の本彫座像で脇侍の日光菩薩月光菩薩の像と共に平安朝時代藤原期の作品と言われ今は仏殿に祭られている。

 久能寺の僧侶は代々静岡浅間神社の社僧として奉仕し225石7斗の朱印他を有していたが、明治3年(1870)学頭亮賢阿以下全員還俗して廃寺となり荒廃したのを明治16年山岡鉄舟が再興を企て、名を鉄舟寺と改め今日に至った。

妙音寺の薬師と言う場合、現在の鉄舟寺の薬師如来のことである。

 

十一番 陽沢山東向寺 

 

臨済宗宝泰 宮加三

(清水区宮加三375)

電話 

054-334-2894 

 

『ひがしむき てらとはいえど 南なり

 これが 如来の みくになるらん』

 

「ひがしむきの寺と言う名ではあるけれど、このお寺のある所は南である。ここが本当の如来のおわす所であろう」

 

慶長年間(1596~1614))開山枩隠和尚(元和10年8月24日寂)が有度山麓、寺家に創建した寺で、のち現在地に移った。本尊薬師如来は恵心僧都の作と伝えられていたが、元禄10年3月第四世亀案祖卜和尚のとき再建された。京都仏師法橋家園の作で本彫座像でもある。

 

この寺は宝永四年(1707)の震災で大破したのを宝泰寺澄水禅師の弟子六世台門和尚のとき再建したが、安政の大地震で全潰した。明治3年(1870)十二世沢月泉和尚のとき三保の領主太田家の居宅を移して再建した。昭和42年改めて現在の堂宇(お堂)を新築した。

 十一番ヵ寺は宮加三の東向寺
 
 慶長年間(1596-1614)に有度山麓の寺家山に創建した寺で、のちに移転。宝永4年(1707)の大地震で大破し、再建したものの、安政の大地震でふたたび全壊。明治3年に三保の領主太田家の旧宅を移して再建し、昭和42年に改めて現在の御堂を新築したそうです。度重なる震災をくぐりぬけてきた根性のお薬師さまなんですね・・・!
駿河近郷十二薬師巡礼その2より
 

十二番 医王山東光寺 

 

臨済宗清見寺末 清水市横砂

(清水区横砂本町20−31)

電話 054-364-6868

 

『のぼりきて、ふだらく山の ふもとより

 これが如来の たちところなり』

 

「観音様のおられると言う ふだらく山のふもとより登るように、一番から順に順拝してきて東光寺まで来ました。この東光寺こそ本当に如来のおわす所のようである。」

 

 当寺は天文年間(1533~1554)温仲和尚が創建し慶長年間(1569~1614)一輪和尚が再建したと伝えられている。
 
 昔勅使が関東へ下向の際、興津川の洪水で東光寺へ宿泊することになったが、門扉がなかったので、丸木を以て格子戸の門扉を造った。それ以来東光寺の門扉は格子戸となっている。
 
 温仲和尚の創建以前、薬師如来を本尊とする寺が、北西方の地にあり、その跡(再興され、のち現在地へ移転したもの)と考えられる。本尊薬師如来は行基大師(670~749)作と伝えられる小形の木造立像である

以上12薬師の選定は禅叢寺を中心に老人の脚で一日に順拝が出来る距離を標準に行われたらしい。吉原の善原寺の薬師が除外されているのも道程が遠いためであろう。

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