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 10.十二薬師の御詠歌並に解説(5~8)

 

五番 医王山祟寿寺

 

 臨済宗清見寺末 清水市下野

(清水区下野12-8)

 

『つくりおく つみをはらうて、のちの世を

十二のかみのおしえあらたに』

 

「いままでに造った色々の罪を佛って、これからは薬師如来の御眷属(ごけんぞく:従者の意)の十二神將の教えをあらたに受けて新しい人生をふみ出し、後の世の安楽をおいのりしましょう。」

 このお寺の本尊薬師如来は、もと鎌倉の祟寿寺の本尊であった。正慶5年(1336)北條高時滅亡のとき祟寿寺は兵火に焼かれたので、住持南山和尚(文和29年10月1日寂)は本尊を背負うて当地に逃れた。村民ために薬師堂を建て、これを祭った。

 のち一寺を建立して祟寿寺と称し、南山和尚を開山とした慶長年間(1596~1614)春草座元(慶長16年5月11日寂)中興し円覚寺派に属していたが、五世守山狐峠和尚のとき、清見寺蘭禅和尚より分法し清見寺派に属した。

 本尊薬師如来は木彫立像で伝弘法大師と称せられる立派な古作である。元禄年間(1688~1703)筆と考えられる釈迦涅槃の大軸を藏している。

『鎌倉 崇壽寺』で調べたら、次のように書いてありました。

辨谷(べんがやつ:辨谷は補陀落寺の東の谷を云ふ。)

元亨元年 相模守北條高時ノ創建セシ金剛山崇壽寺ハコノ地域ニ在リシナリ 道興准后ノ迴國雑記ニ記セシ紅谷ト 田代系圖ニ據リ千葉介ノ敷地トスル別谷トハ共ニ辨谷ニ同ジトスル説アルモ詳ナラズ 

昭和七年三月建 鎌倉町青年團

元亨元年(1321)に相模守北条高時が創建した金剛山崇寿寺はこの地域に在りました・・・

道興准后の廻国雑記に記されている紅谷と、田代系図に記されている千葉介の敷地である別谷は共に弁谷と同じとする説がありますが、詳しい事は分かっていません・・・と、碑文には記されています・・・

 

 
 五番ヵ寺は下野の崇寿寺
 
 本尊の薬師如来は、もともと鎌倉の崇寿寺の本尊で、正慶5年(1336)、北条高時が討たれたとき、寺も兵火に遭い、住持の南山和尚が本尊を背負って清水のこの地まで逃れてきたのだそうです。薬師如来は弘法大師作と伝わる堂々とした木彫立像とのこと。釈迦如来の後ろの厨子の中に納められ、ふだんは写真で拝礼します。
 
駿河近郷十二薬師巡礼その1より

 

六番 富谷山保蟹寺

 

曹洞宗長光者末 清水市大内

 清水区大内539

電話 0543454915

 

『有縁より無縁もうかぶ保蟹寺 

てらへまいるは のちの世のため』

 

「仏法に縁のある者も、縁のないものも、共に救われると言うこの保蟹寺の御寺へ御まいりするのはのちの世のためです。」

 本尊薬師如来は蟹の上に乗っており、巴川より出現したと言い、蟹薬師如来と称せられている。昔から路傍の薬師堂に祭られていたが、永禄年中(1558~1569)三河国設楽郡設楽村より設楽四郎左衛門(元和3年10月17日没)大内村に移住し慶長12年(1607)この薬師如来を本尊として一寺を建立し保蟹寺と号し桂山長光寺の名翁全興言和尚を請じて開山とした。

 

七番 吉祥山長昌寺(薬師堂)

 

曹洞宗眞珠印末草薙(小田)

 

 

『おだやかに おのれの心ざんげして 

ながく みらいを まこと知らせよ』

 

「自分の心をおだやかにざんげしますから、長いこれからのことを本当に知らせて下さい」

このお寺の御本尊は千手観音で薬師如来は境内の薬師堂に祭ってあった。創建年代は未詳だが徳川初期の創建と思われる。

明治19年(1886)2月苦永観瑞首座住職のとき廃寺となり薬師堂だけを残した。長昌寺の薬師とて霊験あらたかであったためであろう。境内に寛政9年(1797)建立の秩父三十四ヶ所供養石や、安永6年(1777)の西周三十三ヶ所供養塔、文化10年奉納の石手水鉢等が残されている。

七番ヵ寺は草薙の長昌寺薬師堂。
 
 徳川初期の創建のようですが仔細は不明で、寺も明治19年(1886)に廃寺となっていて、今は、「草薙一丁目自治会館」の中に薬師如来像だけが残されています。ふだんはお参りする人がほとんどないようで、鍵を預かっている向かいのお宅の奥さんはバス2台でやってきた我々にビックリ。ご近所のお年寄りもやってきて、「こんなにたくさんの人にお参りしてもらってありがたいねえ」と感無量の表情でした。

 駿河近郷十二薬師巡礼その2

 

八番 月光山鳳琳寺薬師堂 

 

曹洞宗桃源寺末 中之郷

(清水区中之郷1-10-23)

電話 054-345-5522

 

『慈悲ふかき 如末の道は つるべさを

 ひきあげたまえ 桜井のてら』

 

「慈悲ぶかい桜井のお寺の如来さま、どうぞ井戸のつるべのように、まよいの底ににある私共をみちびき引上げたまえ」

鳳林寺は正保慶安の頃(1644~1651)生岸宗誕和尚を開基として創建され、始めは楠村との境、巴川添の長沢にあったが、のち井端の附近に移り、更に現在の東原に移った。

鳳輪寺又は法輪と称した時代もあった。本尊は地蔵菩薩で薬師如来は中之郷の熊野神社境内に御祭りし鳳林寺の飛地境内となっている。

この薬師堂は元文4年(1739)正月後桜町天皇のとき創建したと伝えられている。駿河近郷十二薬師中八番の薬師で未(ひつじ)の年を司る薬師と称せられている。この薬師如来像の台座には「駿州吉田中之郷法輪寺」と刻されていた由である。

本尊延命地蔵菩薩
だるま大師
大権修理菩薩
子育弘法大師
不動明王

JR東海道線草薙駅から、車で5分ほどの場所に曹洞宗 月光山 鳳林寺 があります。 元々は、真言宗のお寺であり、歴史のある美しいお寺です。 鳳林寺は、もとの名を、月光院と呼んだそうです。 由来は、付近の樹木が、月の光に照り映え、キラキラと光を放って居た為で、今でもこの付近を月光と呼んでいる人もいるのだそうです。なんとも女心をくすぐる、美しい名前ではありませんか

 閻魔様は、鳳林寺から、車で5分ほどの場所にある「熊野神社」境内の薬師堂に安置されています。こちらの閻魔様は、以前は、東海道沿いの、閻王寺というお寺にいらっしゃったそうですが、明治時代に、火事のため廃寺となったそうです。

仏像が好き!静岡仏女ブログより

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