(清水歴史探訪より)
全国でも、ここを含めて3体しかないといわれる、蟹に乗った薬師如来像。一体、どんなお姿をしているのでしょうか。
ご住職の日沢義孝(ひのさわぎこう)さんにお願いして、普段は本堂の厨子の中に安置されている仏様を、特別に拝見させていただきました。
「今まで、そう開けたこともなかったけど、去年お盆の時に。今まで一回も見たこともない、今まで、本当よく(人生?)60年とかって言ってたのを、『わしゃ死ぬまでに見たい』とかって(言ってる間に)、本当にもう90(歳)とかね、もうすぐだけど、見たことないね。」
「開けるか。」
・・・御開帳する音・・・
「そうですね。」
「それほど大きな仏様ではないんですが、金色(こんじき)の厨子(ずし)の中に立っていらっしゃるんですね。」
「蟹は、赤い色がちょっとついていますが。」
「赤いです。」
「蟹の両足を広げた大きさが、20センチないぐらいでしょうか。」
「そうですね。そのぐらいですね。」
「金色(こんじき)の厨子の中に立っていらっしゃる姿、これはなかなかきれいなものですね。」
「うーん、金色がきれいですね。めったに開けないです。檀家の人も『見せていただきたい』なんていう希望があるんですが、お盆の時なんか、見れると思うんですがね。」
「この蟹に乗った、このお薬師様が流れて。」
「どんぶり、どんぶりしたらしいんですね。そういう謂れです。」
「蟹の下の所は、その川の流れなんでしょうか。」
「そういう風に、これしてあるでしょうね、たぶんね。」
「ちょうどこんな感じで、この沢に流れていらっしゃったというわけなんですね。」
「そういう謂れがあるんでしょう。謂れですから。しかし、こう実質、蟹に乗った薬師さんというのがあるんですからね。いつの時代からあるんですか、ちょっとそれは分かりませんけどね。」
「造られた仏師というのも、分からないんですね。」
「そうはっきり分かりません。記録があんまりありませんからね。村人が病気が治ったという風に言われていますけどね。」
「お祭りなどは行われているんでしょうか。」
「お祭りといいますか、『お施餓鬼(おせがき)』ですね、お祭りというより。お盆、その前に『お施餓鬼』というお祭りがあるんですが、どこのお寺もやりますが、その『お施餓鬼』がいわゆるこのお寺のお祭りということになるんでしょうね。」
「その時には、かなり賑わうんでしょうか。」
「檀家の人たちがみんな来てね、御経をあげてもらって、近隣の和尚さんたちも何人か来てくださるんですよね。そういう形で、法事をやるわけです。」
餓鬼(がき)とは、俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指します。施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことで餓鬼の供養を行う法要行事です。
「餓鬼」に「布施」すると書いて施餓鬼です。禅宗における施餓鬼とは、単に法事だけでなく、修行の一つと考えて良いでしょう。
「その薬師平と、先ほどお話がございましたけれども、その薬師平の場所というのはここから遠いんですか。」
「ここから裏の山へ、そうですね、100メートルぐらい登ったところかな。ある程度、こんな平らに広いわけではないですけど、ある程度の平(たいら)があるんです。しかし、最近山が荒れちゃって、平そのものはありますが、草が生えちゃっているんです。そういう形ですね、今。」
「今は、名前が残っているということですね。」
「そう、名前が残っているだけですね。」
「ちょうど本堂の一番奥の所にお薬師様がいらっしゃいますけれども、やはり大きさはあまり大きい像ではないんですけれども、なんかほんのりとした、ご利益を感じそうですね。」
「そうですね。なんかこれ見ていると、心が安らぐというかね。体の調子の悪い人もよくなるんじゃないですかね(笑い)。」
蟹の上に乗った珍しい姿の薬師如来像は、両脇の2体の仏像と共に、黄金色の厨子の中で静かな表情で佇んでいました。
(注)2体の内の1体の大権修理菩薩(だいげんしゅりぼさつ)は、もとは中国の船を守る神さまで、右手をかざしているのは海を行く船が安全に航海できるように見守るためです。日本に入って、お釈迦さまから続く教えが途切れないでずっと続いていくように見守る神さまとなりました。
これまでは、あまり御開帳されることのなかったという蟹薬師ですが、現在は、お盆などの機会に拝見することができるそうです。