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5.古窯で作った瓦と須恵器(すえき)

(清水歴史探訪より)

「こういう窯を作る技術というのは、当時としてはかなり進んだものだったんですか。」

「そうですね。こういった窯を使って焼き物を作る技術というのは、やはり瓦の制作技術とともに入ってきているんですけれども、それよりも若干先行する時代にやはり、須恵器(すえき)というそれまで弥生土器・縄文土器・土師器(はじき)といった素焼きの焼き物が使われておりましたが、窯を使ってかなり硬い、頑丈な焼き物を焼くという、須恵器というものが大陸の方から入ってきております。

 それと同様に、こういった窯も作られるようになって、瓦というのはやはり非常に大きなものですので、そういったものも作れるようになったというのは、やはりその段階でのその新たな技術の導入というものがあったという風に考えられます。」

縄文土器
 
 縄文土器は、約16,000年前から約2,300年前に作られた土器であります。窯を使わない平らな地面あるいは凹地の中で、薪などを使って土器をあぶるように作ります。今でも練習すれば作れそうです。
 縄文土器は、赤褐色系で比較的軟質、胎土は粗く、やや厚手で大型のものが多いのですが、用途や時期によっては薄手、小形品、精巧品も作られております。土器の形は深鉢が基本ですが、後半には浅鉢・注口付き・香炉形・高杯・壺形・皿形など様々な形が現れました。また縄文土器の形状には、現代の芸術家達が絶賛するものが数多く輩出されております。
弥生土器
 
 弥生土器は、弥生時代(紀元前3世紀中頃から、紀元後3世紀中頃)に作られた土器であります
 弥生土器は、縄文土器が器面を露出させた野焼きであるのに対して、藁や土をかぶせる焼成法(しょうせいほう)であり、覆い焼きといわれております。この結果、縄文土器と比較して、明るく褐色で薄くて堅いという特徴があります。デザインは極めてシンプルで、壺、甕(かめ)、鉢(はち)と台のついた高杯の3種類が基本であります。
 古墳時代に入ってからは、弥生土器に代わって土師器(はじき)が用いられるようになりました。

土師器(はじき)

 

 土師器(はじき)とは、弥生式土器の流れを汲み、古墳時代~奈良・平安時代まで生産され、中世・近世のかわらけ(土器)・焙烙(ほうろく)に取って代わられるまで生産された素焼きの土器であります。須恵器と同じ時代に並行して作られたが、実用品としてみた場合、土師器のほうが品質的に下でありました。なお、埴輪も一種の土師器であります。

 土師器は、土器を焼くために逆三角形に約30㎝ほどの穴を掘り(この穴が焼成坑です)、その中にスノコ状に太い木を置きます。その上に土器の完成品を置き、その上にわらを置きそわの上を赤土でおおう方法で焼成いたします。

須恵器(すえき)
 
 須恵器(すえき)は、日本古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器炻器)である。青灰色で硬い。
 それまでの土器は野焼きで作られていたが、須恵器は全く異なる技術(ろくろ技術)を用い、登窯と呼ばれる地下式・半地下式の窯を用いて還元炎により焼いて製作された。
 奈良時代以降になると、各地方で国分寺の瓦を焼成するために、瓦窯とともに須恵器焼成窯が造られるようになった。東山田3号窯は、瓦専用の窯でかなり初期のものであることがわかる。

「この窯は、瓦専用だったんですか。」

「そうですね。こういった窯も須恵器と瓦を一緒に焼いているような窯もあったようですけれども、この3号窯(よう)については、ほぼ瓦のみ制作していたようです。」

「これが『東山田3号』ということなんですが、この地域には併せていくつ見つかっているんでしょう。」

「先ほど申し上げた、東名高速道路を造るときに見つかったものが1号・2号。そのあとに発見されたのが3号で、とりあえず発掘調査で構造が確認できたのが5つございます。

 恐らく、まだ数基はこのあたりに造られたものと推定されます。今も工業団地の一角になっておりますけれども、昔もやはり工業団地のような状態を呈していたんじゃないかと思います。」

「やはり何かそういう風に集まってきたということは、いい条件があったんですか。」

「そうですね。こういった窯をつくるのには、やはり山の中腹とか、そういった地形も必要ですし、当然、燃料にする木、そういったものの採取も必要です。また、材料になる粘土も必要、ということもありますので、そういった部分で非常にここの場所が適していたということではないでしょうか。あと、もちろん、お寺に近いということも、完成した瓦を現地に運ぶまでの距離が短くて済みますので、そういった条件が重なってこの場所が選ばれたんじゃないかと思われます。」

「当時から、この地域というのは、いろいろ重要なものが集まっていたんですね。」

「そうですね。このお寺が造られたということが非常に象徴的な部分ではあるんですけれども、この白鳳時代よりも先行する古墳時代ぐらいからかなり先進的な、中心的な地域だったという風に言えると思います。」

「この頃から、人の住みやすいところだったんですね。」

「そうですね。庵原地域ということでいいますと、さらにその前の縄文時代ぐらいからもうすでに人が住み始めていたというのが、発掘調査等の結果、分かっております。川も流れ、山も近く、また海も近く、非常に人が生活するには適した地域だったということは言えると思います。」

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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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