(清水歴史探訪より)
さて、この場所から発掘された瓦などの出土品は、どこからやってきたのでしょうか。
「瓦につきましては、この尾羽廃寺があるところからですね、概ね北東方向に東山田という名前の字(あざ)がつけられた場所があります。
そこから、瓦を焼いたと思われる窯の跡が何基も見つかっております。」
「今その場所はどのようになっているんですか。」
「最初に窯跡が発見されて調査をされたのが、東名高速道路のちょうど建設用地の中でしたので、その窯については調査をされて、そのあと東名高速道路で壊されてしまいました。
そのあと、今度は工業団地がその東名の北側の所にございますけれども、それを造る前に発掘調査がされて、
東山田の3号古窯跡は、今は東山田古窯跡公園となっております。
東山田窯跡公園記念碑
清水市庵原地区は古代「蘆原国(いほはらのくに)」の中心でした。当地より北西約1kmに位置する三池平古墳に見られるように巨大な前方後円墳が存在することからも往時の国力を想像することができます。特に、ここ尾羽(おばね)地区には県内でも最古級といわれる尾羽廃寺跡があります。同寺は西暦663年白鳳時代の白村江(はくすきのえ)の戦いにおいて、隣国百済へ遣わされた援軍の将「蘆原の君臣(いほはらのきみおみ)」に深い関わりがある寺であると考えられています。
また、奈良時代には寺院に隣接して、蘆原の「郡衙(ぐんが)」が整えられ、尾羽地区は行政と文化の中心地として繁栄していたようです。農地基盤整備事業に先立ち、平成10年から11年にかけての発掘調査では、古墳時代の陶器「須恵器(すえき)」を焼いた窯1基、瓦窯4基の計5基が発見され、大量の瓦が出土しました。なかでも保存状態が良好な3号窯跡については、型取りをして保存しました。これらの瓦を焼いた窯跡が「東山田古墳跡群」です。
このたび関係者の理解と協力により、尾羽土地改良区が施行する農地基盤整備事業用地の一部を提供され、清水市土地開発公社が「FAZ事業用地」として、平成12年度から平成13年度で造成をしたものです。駿河湾と清水港が一望できるこの土地で清水港の国際物流の拠点としてさらなる発展を図り、進出する企業の活躍により、地域の国際化、経済の活性化、文化の興隆等、地域の発展が齎される(もたらされる)ことを期待するものであります。
平成14年 3月
清水市長 宮城島弘正
「その型取りをしたものを、見せていただけますでしょうか。」
「はい、これからご覧いただきたいと思います。」
・・・移動する音・・・
「はい。これがですね、尾羽廃寺で使われていた屋根瓦を焼いていた『東山田3号窯跡(ようせき)』、3つめの窯跡(かまあと)ということですけれども、それの型取りをした模型ということになります。
現地で発掘調査をした状態で、表面に接着剤を塗りまして、その上から今度は布を貼って、当時の発掘調査の状況をそのまま形をとって、それをこう反転して今ご覧になっている状態になっております。」
遺構の保存
発掘調査には、現状保存を前提とする遺跡の性格、規模、価値などを確認するための学術調査と現状保存が不可能な開発事業に伴う記録保存のための緊急発掘調査とがありますが、学術調査の発掘届件数は、全件数の1%に満たない状況です。99%の遺跡は、発掘調査終了後にこの地上から姿を消してしまいますが、ときに、マスコミを巻き込んだ住民による保存運動が展開され、都道府県や市町村指定史跡として現地に保存される例もありますが極めて稀です。調査後に残るものは、出土品である一次資料としての遺物と調査記録類を編集した二次資料としての報告書です。しかし、近年の保存科学の進展により保存することが可能な一次資料の範囲が拡大しています。従来、遺構は不動産として、土地から切り離すことが不可能でありましたが、ウレタン系の合成樹脂で表面の土壌を立体的に薄く剥ぎ取って動産として保存することが可能となっています。
立体剥ぎ取り移築
遺構の立体剥ぎ取り移築は、遺構表面の土壌を強力な接着剤であるウレタン系の合成樹脂で薄く剥ぎ取り、同樹脂膜に接着した土壌を再び復原遺構の本体となるエポキシ樹脂に転写する方法で実施しますが、土壌を再転写するため再転写工法と呼ぶことがあります。
土壌を薄く剥ぎ取るという方法は、従来から土層断面標本の作製法として一般化していましたが、遺構の移築では剥ぎ取った土壌面の天地左右が反転しているため、再度、土壌面を移築先に転写する必要があります。また、土層断面では剥ぎ取る対象が平滑な平面であるのに対して、遺構では凸凹のある立体的な形状であるため、形状を型取るためのバックアップ材が必要となります。遺構を移築するためには、表面の土壌を剥ぎ取ることと形状を型取ることが必要です。
博物館に展示されている考古資料のなかにレプリカと呼ばれる型取り模造品があります。実物の資料からシリコーン樹脂などで雌型を作製し、その型に収縮率の小さなエポキシ樹脂を充填させて本物そっくりな模造品を作製することを「型取り模造」と呼びます。このレプリカの最大の欠点は、表面の彩色が主にアクリル系絵具で人為的に彩色されていることです。そのため、製作者の技量がレプリカの仕上がりに影響します。形状が実物と完全に一致しても表面の彩色が人工的に施されているため二次資料に分類されています。
従来行われていた遺構の型取り保存はレプリカと同じ「型取り模造」の方法で行われていました。
しかし、立体剥ぎ取り工法で移築した遺構の表面は『実物』そのままの土壌です。実物資料だけがもつ迫力と臨場感があります。写真や図面では抽出できない多くの情報がそこに保存されています。
遺構の保存と活用
遺跡・遺構・遺物そして調査記録類は貴重な文化財です。遺跡・遺構は大地に記憶されたもので、一度破壊されたら二度と元の姿に戻ることはありません。遺構は、遺跡から切り離されることで多くの情報を失います。東山田3号窯跡のように遺構の表面が実物の土壌である立体剥ぎ取りの方法であっても、その事実は変わりません。しかし、99%の遺跡は、切り取ったり、剥ぎ取ったりしなければ、現状では遺構を保存することができないのも事実です。窯跡が存在した地点は公園として整備されました。先述したように遺構を切り取ることで失われるもののひとつは遺構の立地環境ですが、公園によってそれが保存されたわけです。公園に佇むことで窯跡の立地環境を、また、施設内では窯跡の色、形、スケール感をそれぞれ体感することができます。この事例は、記録保存を前提とする発掘調査において検出された遺構の保存と活用のモデルケースとなるでしょう。
①剥ぎ取る範囲に変性ウレタン樹脂をスプレ-ガンで吹き付ける。
②樹脂膜の補強のためガラスクロスで裏打ちする。
③変性ウレタン樹脂塗布後の状況
④石膏、角材等で形状を型取るバックアップ材を作製する。
⑤バックアップ材作製後の状況
⑦土壌が接着した変性ウレタン樹脂膜を遺構から剥ぎ取る。
⑧バックアップ材を組み立て裏返した変性ウレタン樹脂膜を固定化させる。
⑨窯跡は裏返った状態となる。
⑩復元遺構の本体となるエボキシ樹脂を塗布する。
⑪補強のためアルミアングルでフレームを取り付ける。
⑬現地と同じようにバックアップ材を解体しながら取り外す。
⑭変性ウレタン樹脂膜を剥ぎ取るようにして除去する。
⑯土壌の剥落防止のためアクリル樹脂をスプレーガンで吹き付ける。
⑰運搬のため2分割する。
⑱重機で吊り上げ運搬する。
「斜面のちょうど真ん中に溝が掘られていまして、底の方は平らになっているんですけれども、上の方へ向かって斜めに掘られている形ですね。」
「そうですね。中はこう斜めになっているだけではなくて、階段状になっております。
その階段状になっているところに形をつくって、乾燥させた瓦を並べて、今我々が見ているところからいいますと、手前になるんですけれども、手前のところで火を燃やします。
それから、今おっしゃったように、全体的には斜めに奥に向かってこう上がっていっておりまして、上の方から熱と同時に煙がどんどんどんどん立ち上っていく、というような構造になっております。
今ご覧いただく状態では、天井がありません。ですから、中の様子がよく見えますけれども、実際、当時瓦を焼くのに使われていた状態では、この上に天井といいますか、粘土で作った屋根がのっかっていたような状態です。