【42】桑名宿⇒四日市宿
桑名・くわな ①2,544戸 ②8,848人 ③本陣2・脇本陣4・旅籠120(大8・中34・小78) ④26町余 ⑤七里渡口 ⑥三重県桑名市 ⑦JR関西本線桑名駅下車
桑名というと「桑名の焼き蛤(はまぐり)」を思い出します。実は、「桑名の焼き蛤」は江戸時代の桑名藩の富田(東富田村・西富田村)の蛤料理でありました。藩名が桑名だったため「桑名の焼き蛤」と呼ばれるようになったのです。江戸時代は盛んであった「富田の焼き蛤」でしたが、現在では富田の焼き蛤料理は富田地区には存在しないそうです。
【43】四日市宿⇒石薬師宿
四日市・よっかいち ①1,811戸 ②7,114人 ③本陣2・脇本陣1・旅籠98(大22・中32・小44) ④6町20間余 ⑤三重川 ⑥三重県四日市市 ⑦近鉄名古屋線近鉄四日市駅下車
民謡『お江戸日本橋』より「四日市から石薬師 願をかけ/庄野悪さをなおさんと/こちや 亀薬師を伏し拝み」
【44】石薬師宿⇒庄野宿
石薬師・いしやくし ①241戸 ②991人 ③本陣3・脇本陣0・旅籠15(大7・中5・小3) ④9町42間 ⑤石薬師寺 ⑥三重県鈴鹿市 ⑦近鉄鈴鹿線平田町駅からバス
【45】庄野宿⇒亀山宿
庄野・しょうの ①211戸 ②855人 ③本陣1・脇本陣1・旅籠15(大4・中6・小5) ④8町 ⑤白雨 ⑥三重県鈴鹿市 ⑦JR関西本線加佐登駅下車
【46】亀山宿⇒関宿
亀山・かめやま ①567戸 ②1,549人 ③本陣1・脇本陣1・旅籠21(大0・中9・小12) ④21町59間 ⑤雪晴 ⑥三重県亀山市 ⑦JR関西本線亀山駅下車
【47】関宿⇒坂下宿
関・せき ①632戸 ②1,942人 ③本陣2・脇本陣2・旅籠42(大10・中18・小14) ④15町13間 ⑤本陣早立 ⑥三重県亀山市 ⑦JR関西本線関駅下車
関宿は、大化の改新の頃に鈴鹿の関が置かれた地であります。江戸幕府はこの地に関所は設けませんでしたが、東海道・伊勢道の追分として大勢の旅人が通過する重要な宿駅でした。
関宿は、見事に宿場町の風情を残しており、昭和59年には「重要伝統的建造物群保存地区」に、昭和61年には「日本の道百選」に、平成には「歴史国道」に選定されております。
【48】坂下宿⇒土山宿
坂下・さかのした ①153戸 ②564人 ③本陣3・脇本陣1・旅籠48(大2・中9・小37) ④5町56間 ⑤筆捨嶺 ⑥三重県亀山市 ⑦JR関西本線亀山駅からバス
【49】土山宿⇒水口宿
土山・つちやま ①351戸 ②1,505人 ③本陣2・脇本陣0・旅籠44(大5・中18・小21) ④22町55間 ⑤春之雨 ⑥滋賀県甲賀市 ⑦JR草津駅貴生川(きぶがわ)駅からバス
【50】水口宿⇒石部宿
水口・みなくち ①692戸 ②2,692人 ③本陣1・脇本陣1・旅籠41(大7・中18・小16) ④22町6間 ⑤名物干瓢(かんぴょう) ⑥滋賀県甲賀市 ⑦近江鉄道本線水口城南駅または水口石橋駅下車
民謡『お江戸日本橋』より「水口びるに紅をさし 玉揃ひ/どんな石部のお方でも/こちや 色にまようてぐにやぐにやと 」
【51】石部宿⇒草津宿
石部・いしべ ①458戸 ②1,606人 ③本陣2・脇本陣0・旅籠32(大4・中14・小14) ④15町3間 ⑤目川之里 ⑥滋賀県湖南市 ⑦JR草津線石部駅下車
間の宿 六地蔵
【52】草津宿⇒大津宿
草津・くさつ ①586戸 ②2,351人 ③本陣2・脇本陣2・旅籠72(大7・中16・小49) ④東西4町38間・南北7町15間半 ⑤名物立場 ⑥滋賀県草津市 ⑦JR東海道本線草津駅下車
『草津』というと『草津温泉』を思い出しますが、『草津温泉』は群馬県です。『草津宿』は『東海道』と『中山道』の合流地点であります。『草津市』では、東海道に当時のまま現存する『草津宿本陣』や隠し目付だった問屋場『大田家』の資料を公開し巨大な追分道標も残されております。
【53】大津宿⇒伏見宿
大津・おおつ ①3,650戸 ②1万4,892人 ③本陣2・脇本陣1・旅籠71(大19・中27・小25) ④東西16町51間・南北1里19間余 ⑤走井茶店 ⑥滋賀県大津市 ⑦JR東海道本線大津駅または京阪京津線上栄町駅下車
大津宿には、宿場跡の面影はありません。ただ、京都へ行く伏見街道(奈良街道)と大坂へ行く三条街道(東海道)の分岐点、髭茶屋追分(大津追分)があります。他に、逢坂関跡、蝉丸神社、月心寺があります。
【54】伏見宿⇒淀宿
伏見・ふしみ ①6,245戸 ②2万4,227人 ③本陣4・脇本陣2・旅籠39(大6・中21・小12) ④東西10町・南北1里6町 ⑤高瀬川 ⑥京都府京都市伏見区 ⑦京阪本線伏見桃山駅・中書島駅または近鉄京都線桃山御陵前駅下車
伏見は京に近く、実質は京の湊町で、大坂発の三十石船客の多くは伏見湊で高瀬舟に乗り換えて京に向いました。宿駅の面影が残っております。
【55】淀宿⇒枚方宿
淀・よど ①836戸 ②2,847人 ③本陣0・脇本陣0・旅籠16(大0・中0・小16) ④14町57間半余 ⑤淀城 ⑥京都府京都市伏見区 ⑦京阪本線淀駅下車
宿駅としての面影は全くありません。
【56】牧方宿⇒守口宿
牧方(枚方)・ひらかた ①378戸 ②1,549人 ③本陣1・脇本陣0・旅籠69(大31・中21・小17) ④南北13町17間 ⑤鍵屋資料館 ⑥大阪府枚方市 ⑦京阪本線枚方市駅下車
枚方宿は、京と大坂のほぼ中間点でにぎやかな宿場で、淀川の川湊でもありました。
船宿『鍵屋』は東海道4宿のなかでもトップクラスの資料館です。
【57】守口宿⇒大坂・高麗橋
守口・もりぐち ①177戸 ②764人 ③本陣1・脇本陣0・旅籠27(大5・中9・小13) ④南北11町51間 ⑤守口宿旧商店街 ⑥大阪府守口市 ⑦京阪本線守口市駅または大阪市営地下鉄谷町線守口駅下車
守口宿⇒大坂・高麗橋
東海道の終端は当初、京橋口でしたが、後に高麗橋東詰となりました。伏見宿から三十石船に乗った旅人は8軒の船宿が並ぶ八軒屋で下船し、終着地・高麗橋に向いました。高麗橋はかっては秀吉が大阪城築城に際して外堀としたところです。