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4.清水次郎長の横顔

(清水歴史探訪より)

 

「治安維持にもあたったわけなんですね。」

「そうなんです。清水の次郎長という方は、生まれたときは普通の庶民の子でした。ものすごいやんちゃで、大人から見たらもうとんでもない子だったんですね。それで、文政12年(18298歳の時、由比の方(倉沢の伯父、兵吉のもと)に、お行儀見習いに行かせたりしていたんです。

(清水歴史探訪より)

16歳になったときに、お米屋さんのお父さん、義理のお父さん(山本次郎八)ですが、そこのお金をちょっと盗んで浜松のほうに商売をしにいったんですね。そしたら、そこで先物取引でものすごい財産を作って、清水に船一艘(そう)分の財産を持って戻ってきたと。

そこからお米屋さんを継いでものすごく繁盛したんですけども、23歳の時に旅の僧に『お前さんはそんなに長く生きれないよ』という風に言われたのです。

だったら自分の好きなギャンブラーというんでしょうかね、『任侠の世界に入るんだ』と言って入った人なんですね。

次郎長の三河への出奔(しゅっぽん)
 
 次郎長は、旅の僧に言われたことや押し込み強盗にメッタ打ちされたことで、遊侠の世界(=博打と遊びの世界)にのめり込んでおりました。天保13年(1842)の22歳の次郎長は、インチキしたばくち打ちを巴川に投げ込み、殺したと思ってしまった。このままだと、下手人として死罪、家財没収の上、親戚にまで迷惑が及ぶと考え、次郎長は三河へ出奔を決意。
 ①甲田屋を、実の姉とり・安五郎夫婦に譲り
 ②最初の奥さん(名前は不明)と離婚し
 ③養父治郎八が貸した借金の古証文を焼き捨てた(世間への人気取り?)
 
まんが家の黒鉄ヒロシ氏は、とり・安五郎夫婦はじめ皆が一番喜んだのは「暴れ者の次郎長が清水からいなくなることだった」と推論しております。
^^江戸時代の清水湊

(清水歴史探訪より)

 

それが49歳になったら、明治になったということもあるんですが、『これからは国際的に日本はしっかりやっていかなくちゃいけない』ということになったのです。

今までの清水の港(湊)というのは、この江尻の巴川の川筋にあったのです。しかし、大きな貨物船とかを入れるためには、海の方に造らなきゃいけないことになったんですね。

^^次郎長の英語塾

(清水歴史探訪より)

 

今の清水港の位置に港を移すとかですね、もちろんこの街道警護役もそうです。国際港を造るにあたって『国際化には英語が必要だろう』ということで、私立の英語塾をまず作ったりとかもしました。

 

 

(清水歴史探訪より)

 

あとそれから『西洋の医療を入れなければいけない』ということで、神奈川から若いお医者さん(注)を呼んできて、その方にこの地域医療をお願いしたりとかですね。それで、その方がどうも静岡県の第一号の医師会の会長さんだという話もございますけれども。

 

写真:植木重敏(元治元年~昭和7年)

 

 

(注)「植木重敏」は、高知出身で東京帝大医学部を卒業し、郷里高知に帰らず清水で開業します。清水の医師会会長も務めました。諸田玲子さんの『波止場浪漫』では、次郎長の養女おけんちゃんとのラブロマンスが取り上げられております。(第二十三話 波止場ロマン「船宿『末廣』」参照)

 

 (清水歴史探訪より)

あと幕臣の方とか、罪を背負った方たちの働き口がないので、富士の開墾、相良(さがら)の油田の開墾とか、そういったようなことをやったりとか。

山岡鉄舟さんと一緒に、山岡鉄舟さん自身が鉄舟寺や臨済寺の改装というようなことはやっているんですが、お金を集めるのは全部次郎長さんが集めて行ったりとか。

東海道線を引く時も人工(にんく)の手配とかそういうものを次郎長さんが手配をして、結局そういう出会いをした後にそこに会社を作ってご自分でやればよかったんですが、それはもう全部地域の人たちに渡して、そしてそこのところが大きくなっていく。そういうようなお話も残っています。」

東海軒社長 平尾清さんから聞いた話
 
 東海軒さんは、明治22年2月1日にこの静岡の地に鉄道が開通されて以来120余年駅弁を販売しているそうです。そして、この駅弁販売を提案して進めてくれたのが清水の次郎長さんだそうです。東海軒さんの言い伝えでは、静岡~清水間の東海道線は次郎長さんが引いたそうです。
 明治22年、静岡駅開業と同時に誕生したのが東海軒の前身である加藤弁当店の駅弁だそうで、この写真がこの当時の駅弁だそうです。

(清水歴史探訪より) 

「映画などで描かれている、『切った張った』の世界とは全く違った次郎長さんなんですね。」

「そうですね。だから本当にこの方って不思議な方で、やんちゃだったのが事業家になって、それがあっという間に任侠の世界に入って、そして今度は世のため人のための、今でいうNPO的な活動をしているということで、もう人生すごくそれぞれ色んな局面を迎えているんです。

しかも、どの局面でもまあまあまあトップにお成りになるということで、いつでも勝ち組の人生を歩んだ方なんですよね。」

 

 

義理堅かったという次郎長さんのエピソードを伝える品も残されています。

 

「次郎長さんが賭博というんでしょうかね、お祭りの時にそういうギャンブルをやる場を設けるんですが、そのときにちょっと素人の方にご迷惑をかけちゃったことがあったそうです。

ここに、高さが70センチで、90センチぐらいの入れ物があるんですが、この入れ物にいっぱいお米を入れて謝りに行った時のものだそうです。

謝りに行ったら、あまりにもその方が驚いて、『清水の次郎長さんからそんなにも謝られた』ということで、『もうこれだけはお返しします』ということで戻ってきたっていうものだそうです。それが、今ここに置いてあるものですけれども。 

ですから、清水の次郎長という人は、ギャンブルは任侠に生きる世界の人たちがやるもので、素人さんには迷惑は絶対かけちゃいけない、かけた場合にはちゃんとこうして礼儀を通したという話が残っています。」

(清水歴史探訪より)

 

「ちゃんと、分けていたんですね。」

「分けてたみたいですね。だから、梅蔭寺さんにあります銅像も、左手が握りこぶしになっていますよね。あれは実は中にはサイコロが入っていると言われているんですね。

 年中サイコロをずっと握っていて、どんな目でも自分の思い通りに出る、というぐらいの技術を持っていらっしゃったんですって。

ですから、『素人の人はかかっちゃいけないよ』ということを言っていたみたいですね。そういうところはすごく筋を通していたみたいですね。」

 

 

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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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