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2.飛行機路線のおこり

(清水歴史探訪より)

 当時、航空関係を所管していた逓信省はその後郵政省となり、現在は総務省となっています。また、航空輸送は、国土交通省が管轄しています。

 

「当時のその旅客需要とか、貨物需要というのはどのぐらいのものがあったんでしょうか。」

 

 関東大震災による鉄道路線の影響

(清水歴史探訪より)

「もともと実は清水に水上飛行機が来始めたという事の起こりがですね、1923年の関東大震災がありまして、あの時に鉄道に対する郵便関係が全部、路線が破壊されてしまったことでした。それで、郵便を運ぶルートをいろいろと模索した結果、清水、今の清水駅ですね、当時の江尻なんですけれども、ここが一番港に近くてなおかつ鉄道とのマッチングがいいという風なことで、当時郵便を運ぶために横浜とかから清水に着水させることになりました。

(清水歴史探訪より)
 ここから鉄道で郵便を、または西からの荷物を江尻で下ろして、そこから横浜っていう風なので郵便を運んだっていう記録があるんですね。昭和の5年から、清水港から東京へ郵便を運ぶという事業が始まりました。そして(昭和)6年にはもう少し人も運びましょうという風なことになりまして、機体も新たに大きくしてっていう風なので、航空事業として少し『東京航空輸送社』という会社が力を入れてくるのが、昭和6年の4月からになるんですけれども。」

東京航空輸送社

 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
 東京航空輸送社(とうきょうこうくうゆそうしゃ)は1928年(昭和3年)に設立された日本の民間航空会社である。1929年(昭和4年)から東京-下田間の定期航空営業をおこなった。

 

相羽 有(あいばたもつ)
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 宇都宮の呉服店の三男に生まれた相羽 有(あいばたもつ)は、飛行家を目指すが強度の近視のために操縦者になることをあきらめ、雑誌『飛行界』の記者を務めていた。
 1917年(大正6年)、自作の航空機の製作を目指していた玉井清太郎と知り合い、日本飛行学校を設立した。玉井清太郎は1917年5月20日に玉井式3号機の事故で死亡し、相羽も父の遺産を使い果たすが、飛行倶楽部の後援会ができ資金を確保した。
 1917年9月、台風による高波の被害で、日本飛行学校は資材を失い、相羽も一旦飛行機事業から手を引き、日本初の自動車学校の運営に専念し、この事業は成功した。
 1921年(大正10年)航空界が急速に発達するのをみて1923年(大正12年)日本自動車学校に飛行科をもうけ、1924年(大正13年)日本飛行学校を再び設置した。
 日本飛行学校は操縦者の育成だけでなく航空事業も開始し、1928年東京航空輸送社を設立した。1929年定期航空の認可を得て、複座のアブロ 504と海軍から払い下げを受けたハンザ・ブランデルブルグ水上機(乗客1名)を用いて、東京-下田間の定期航空営業を開始した。
 後に4人乗りの愛知AB-1輸送機の貸与を受けると1931年(昭和6年)エア・ガールを募集し3名を採用し、同乗させた。

 1939年(昭和14年)3月27日、国の方針により大日本航空に吸収合併された

 

 

東京航空輸送社で画像を検索したら興味深い画像がたくさんありました。

ただし、どこまで『東京航空輸送社』と関係あるか?はわかりません。

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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

1.各種税務相談・税務申告
2.記帳業務
 3.給与計算・決算指導

■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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