(清水歴史探訪より)
「巴川を渡って三保側のほうへやって来たわけなんですが、ここは静清(せいせい)浄化センターになっていますね。」
「ええ。ここが、私が調べた地図で見ますと、そこの角3分の1ぐらいから羽衣木橋の西の端があったそうです。」
「ここの静清浄化センターの中に橋のたもとの部分があったわけですね。」
「ちょうど今、清開一丁目という地名のところですけれども、木橋へ向かうための道はどっちからどっちへ向かっていたんですか。」
「えっと、木橋の・・・、取付道ですね。これ松原町(清水区役所のあたり)というか、港橋商店街(エスパレス通り商店街)を南へ下って、村松へ行く途中に『芳野屋ストアー』さんってあるんですよ。その前に三つ角があって、その三つ角を東へ進むと、伊藤鐵工所さんの正面玄関へ通るんです。」
(清水歴史探訪より)
「今私たちはこの150号の海側の方を歩いているんですが、陸側の方に鉄工所があって、ここが伊藤鐵工所さんなわけですね。」
「そうですね。あの玄関の門柱ですね、あそこあたりを抜けて、ちょうど東へ進むと、羽衣木橋の西の端へ行くんです。」
「それで、今の150号のところを越えて、静清浄化センターの中へと道が伸びていたと。」
「そういうことですね。」
「さぁ、それでは静清浄化センターに許可いただいておりますので、中に入ってみたいと思います。」
鉄工所の方に伺ったところ、昭和12年にこの場所に移転してきたとき、すでに道の跡はなくなっていたということでした。しかし、古い地図を見ると、かつてこのあたりに道があったことは間違いなさそうです。
(清水歴史探訪より)
「『静清浄化センター 多目的広場』という、これは一般に公開されている部分なんですが、この上の方から見ることができますかね。」
「そうですね。」
「今日はちょっと曇っていますけれど、晴れていれば、富士山と羽衣木橋をちょっと想像しながら見ていただければ、昔を思い出せるんじゃないかなと。」
(清水歴史探訪より)
「そうですね。ちょうど今、スロープの一番上まで上がって来ましたけれども。」
「伊藤鐵工所さんの看板がある横、つながってそこの建屋の、白い建屋の3分の1ぐらいですね。」
「浄化センターの今白いコンクリートの建物がありますが。」
「新しい建屋ですね。」
「はい。このあたりを通っていたということになるわけですね。」
「ちょうど富士山がよく見えますね。」
「きれいですね。昔の人も、この風景を見ながら通ったんですね。」
「そういうことですね。」
「たぶん手前の倉庫はなかったと思いますけれども。」