(清水歴史探訪より)
江戸時代のたたずまいを残す旧蒲原宿で、ひときわ異彩を放つ旧五十嵐邸。歯科医院としての役割は終わっても、町づくりの拠点としてこれからも注目を集めることでしょう。
お話は、『NPO法人 旧五十嵐邸を考える会』副理事長の吉田ふみ子さんでした。
清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~
お相手は、石井秀幸でした。
この番組は、JR清水駅近くさつき通り沿いのいそべ会計がお送りしました。いそべ会計について、詳しくはホームページをご覧ください。
とんがり屋根が目印の歯医者さん
ふじのくに文化資源データーベースより
順天堂田中歯科医院は大正14年(1925年)富士市吉原出身で、東京歯科医科専門学校(現東京歯科大学)卒の歯科医師・田中隆次郎(たかじろう)によって開業されました。
医院の建物は、当時蒲原(かんばら)町東山(現静岡市清水区)に建っていた別荘の洋館部分を移築したもので、この別荘は東京電燈(とうきょうでんとう)会社(現:東京電力)初代社長を勤めた矢嶋作郎(さくろう)が、明治22年(1889年)頃に建築したものとされます。
大正13年(1924年)に土地を蒲原町の五十嵐準、洋館部分を田中隆次郎氏に売却したものです。五十嵐準も東京歯科医科専門学校卒業の歯科医師で、その医院の建築は旧五十嵐歯科医院(国登録文化財)として、蒲原の地に残っています。
田中歯科医院は、1964(昭和39)年頃閉院しますが、その後は住居として使用されています。
大正14年に移築した洋館部分と、居住部分として増築された和館があります。高くそびえる急勾配の屋根と六角形のドーム形屋根が特徴的で、2階建の大きな壁面には上げ下げ窓を開き、イギリス風の玄関ポーチがあります。玄関を入って右側が診療室で、小さなドーム部分は勉強室でした。
個人宅のため、敷地内立ち入り禁止となっています。