2階に上がる階段には、変わった仕掛けがほどこされています。
「かなり急な階段ですね。」
「そうですね。」
「階段の横に、何か扉のようなものがありますけれど。」
「これね、勉強部屋として昭和15、6年ごろ、建て増ししているんですよ。子供の勉強部屋ということもあるし、技工士さんが使っていたよ、というようなことを言っているんですけど、この板をね、こうやると、よいしょ、子供がこっちへ入った時に閉じ込める。(笑い)」
・・・・扉の閉まる音・・・・
「この板をたたんでしまうと、部屋から出られないわけですね。ちょうどこの板を広げると、階段の半分ぐらいをふさぐような形で、廊下が。」
「そうですね、廊下を作ってあるんですね。」
「これは今も乗っても大丈夫なんですか。」
「手すりもないし、落ちたら困るということで、もう何年も渡していません。」
「じゃあ、向こうの部屋はちょっと入れない原因になっているわけですね。」
「一応四畳で全部窓ガラスですから、明るい部屋になっています。書生さんみたいな人もいたんじゃないですか。」
田中光顕専用の待合室
(清水歴史探訪より)
2階は、待合室や診察室になっていました。
「また、和室なんですけれども。」
「これはね、大正7年に建てられた方の建物なんですけど、襖絵は、春夏秋冬(はるなつあきふゆ)、春夏秋冬を表しています。」
「花が咲いて、鶴がいて、おしどりがいて、秋は紅葉ですね。」
「そうですね、その下で雪が降っていますね。」
欄 間
「欄間(らんま)もまた手が込んだものになっていますね。」
「そうですね、欄間は、これは富士山と松原。」
「この部屋はどんな方が使ってらっしゃったんですか。」
「ここはねぇ、田中光顕(こうけん)さんっていう方ね、警視総監やられたりとか、宮内大臣やられた方なんですけど、この方が蒲原に青山荘(せいざんそう)という別荘をつくって住んでいたんですね。それで歯が痛くなるとここへ来たんです。その方が来ると、一般の人と同じ待合室にいるわけにいかない。で、ここのお部屋を使っていた。ここのお家の大事なお客様なんかが来た時にも使ったんじゃないでしょうかね。」
「立派な床の間もありますね。」
(清水歴史探訪より)
田中光顕(こうけん)こと、田中光顕(みつあき)は土佐藩の下級武士に生まれ、のちに宮中顧問官、警視総監などを歴任した明治の元勲(げんくん)伯爵です。晩年は、蒲原に『青山壮』と名付けた洋館を建てて過ごしていました。