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1.海長寺を訪ねて

(清水歴史探訪より)

 

清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~

毎月第二土曜日のこの時間は、清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。

 

清水港に近く、工場地帯に隣りあう住宅地の一角に、山門に葵の御紋が染め抜かれた幕を掲げた古刹(こさつ)があります。『日蓮宗本山 龍水山 海長寺』です。お寺に葵の御紋とは、どんな歴史があるのでしょうか。山務員の小野啓雅(けいが)さんを訪ねました。

 

「海長寺山務員の小野啓雅さんに伺います。よろしくお願いいたします。」

「よろしくお願いいたします。」

「まず、この海長寺というお寺なんですけれども、どんな言われがあるんでしょうか。」

「当山は1200年の歴史がございます。有度山という山に慈覚大師さんがお寺をお開きになったのが、一番の始まりです。」

「日本平の辺りに最初は開かれたんですか。」

「そうですね、ちょうど上、有度山のもう少し上の辺りに今でも少し名残りが残ってるそうなんですけども、そこに海長寺の前身の峨岳寺という寺が開かれたのが始まりです。」

「名前も違っていたんですね。」

「そうですね、海長寺となったのはずいぶん後の話です。」

開創--------------------(日蓮宗:中部宗務所の㏋より)
 平安朝の仁寿二年(西暦852)有渡山八ツ原に創建された天台宗の古刹で、村松山峨岳寺と称した。慈覚大師を開基とし台密を伝えたが、寛弘八年(1011)山津浪で崩壊してから現在地へ遷った。

 

改宗--------------------(日蓮宗:中部宗務所の㏋より)
 鎌倉時代の文永九年(一二七二)に日蓮聖人の弟子、中老僧日位上人が当地を弘教し、当時の寺主慈証尊者を帰伏せしめてから本化門下となる。慈証は日受と法号を改め、日位尊者を開基と仰いで、聴講侍坐した。山寺号も龍水山海上寺と改称したが、後に故あって海長寺と改めたのは、徳川期に入ってからのことである。



願満の祖師--------------------(日蓮宗:中部宗務所の㏋より)
 弘安四年(一二八一) に堂宇を改修した頃は釈迦牟尼仏を本尊としていたが、これは後に逆修堂へ奉祀されたものである。日位尊者が身延山の宗祖聖人に事の次第を言上すると、宗祖は自身点眼の像を授与されたが、現在も本堂に奉安されてある願満の祖師像がそれで、彫刻の名手・中老僧日法上人の作として近郷の信仰を集めた。

 (清水歴史探訪より) 

「はい。現在の場所に移ってきたのは、どうしてなんでしょうか。」

「およそ1000年前に、峨岳寺が崖崩れに遭ってしまいまして、その資材を運んで今の現在の海長寺のあたりに再建をされたという風に言われています。」

「海長寺という名前ですけれども、“海の長いお寺”と書くわけなんですけれども、これにも言われがあるんだそうですね。」

「はい。峨岳寺というお寺で最初は造られたんですけども、資材を下ろしてきて再建したときに、当時はまだ解体が進んでませんでしたので、『海上寺』という風に、“海の上の寺”と、それはまるで海の上に浮かんでる寺のようだ、ということから『海上寺』という風に一番最初は付けられました。そのうちいつの頃からか、『海長寺』、“海の長い寺”という名前に変わったという風に言われています。」

「海の上にあるように見えたということなんですけれども、そうしますと、当時は今と地形も随分違うんでしょうか。」

「だいぶ違うと思いますね。海がもう少し広かった時期だと思いますので、もっと海の際(きわ)にあったという風に言われていると思います。当時、一番栄えたころは約40,000坪あったという風に言われております。農地解放とか、戦争で焼けてしまったとかそういう部分がありますけども、今も何とか4,000坪を保たせていただいています。」

 

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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
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TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
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