8.船宿『末廣』の一階にある写真
1階には土産物やいろんな展示品がありますが、白黒写真も飾ってあります。いちばん有名なのは、写真の好きだった徳川慶喜公が撮った「船宿『末廣』」の写真であります。
右の写真が、熨斗目(のしめ)という綿入れのような大きな服であります。これは、裃(かみしも)につける下着で、礼服のようなものだとガイドさんに説明を受けました。見てみると、褞袍(どてら)のような感じがします。とても礼服には見えないのですが、ガイドさんの説明によると葵の御紋が入っており、普段は着ることはないとのことであります。
次郎長ゆかりのもので、この「船宿『末廣』」以外に今でも残っているのが、地元で「次郎長堤」と呼んでいる石垣です。この「次郎長堤」のある場所をガイドさんに教えてもらって行ってみました。普通なら気が付かないのですが、目のいいアシスタント髙内さんが探してくれました。観光名所というのは少し恥ずかしい「次郎長堤」でありました。
1階には色々な写真が残っております。「次郎長自身の写真」や「おちょうさんの写真」、「清水一家の写真」なども残っております。
清水の巴川沿いに清水次郎長とおちょうさんが最初に所帯をもった家があります。次郎長の生家のある美濃輪町の家と巴川の間であります。
この写真は、次郎長の養子となった天田五郎が撮った写真であります。壮士の墓のある場所から撮った写真であります。二階建ての家が次郎長の家のようです。
江戸時代の壮士の墓は、この浮世絵の向こう岸(向島と呼ばれた海側の土地)あたりだったそうです。年と供に海側の土地が広がっていったそうです。清水波止場が出来るまでは、巴川はまさに、清水湊として物流の拠点だったのです。