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1.波止場浪漫その1(明治)
 
 『波止場浪漫』は、上巻が、「序」から始まって「大正1」、「明治1」という具合に、大正と明治が交互に書かれております。この方が小説としては面白いと思いますが、あらすじとしては年代順に記載した方がわかりやすいと思いまして、明治から順に記載しております。

1.(明治19年:11歳)

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 横浜からの定期船。乗っていたのは、山本長五郎、人呼んで次郎長。医者の渡辺良三先生と植木重敏(うえきしげとし)先生。迎えていたのは、次郎長の養女、物語の主人公の『おけんちゃん』けんである。植木先生は、物干し竿をかついでの登場。

 次なるふたりづれは、宏田(こうでん)和尚に代わって梅陰寺の和尚となる萬休(ばんきゅう)和尚と小坊主の月心(げっしん)。

 最後にハシケからおりてきたのが、けんが『初兄ちゃん』と呼ぶ桜井初志郎(はつしろう)。おけんちゃんと植木先生とは、最初の運命的な出会い

2.明治その1 ハワイ(明治24年:16歳):16歳の春

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 次郎長の英語塾で学んだ三保村の川口源吉がハワイから帰ってきた。初志郎は感化されてハワイにわたると言い出す。初志郎は次郎長が三河の女に産ませた子で、次郎長を『親父』、おちょうを『母さん』と呼んでいた。「おちょうは三代目で官軍の身内の武家の娘。二代目のおちょうは三代目と間違えられて斬殺。三代目のおちょうは『二代目に申しわけない』との気持ちで清水へやってきた。士族の三代目が女房になったので、初志郎の母はいとまを出され、初志郎は桜井家の養子になった。」と、初志郎がけんに説明。

  医者の渡辺先生は東京に帰ったが、植木先生は次郎長の敷地内で開業。けんが植木先生の診療所を訪れると、植木先生は梅毒患者と思われる売春婦を診察中だった。

 一方、16歳のけんは軍艦天城の海軍少尉、小笠原長生に初恋。

3.明治その2 駆け落ち(明治25年:17歳):17歳の春

 江尻志茂町(しもちょう)の遊郭、千畳楼(せんじょうろう)の女将(おかみ)のまつは次郎長の姪で、養女でもある。おちょうとは母娘の間柄であるが仲が良くない。まつにかぎらず次郎長の親族はおちょうをこころよく思っていない。

 けんが千畳楼から出てきたところで、初志郎と出会う。初志郎はけんに女を匿って欲しいと頼み、急患と偽って植木先生の診察室に連れて行かせる。その後、けんは、初志郎を次郎長にわびさせる。

 一方、女の追っ手が植木先生を襲い、先生は怪我を負ってしまう。しかし、女は天井裏に逃げて無事だった。女は『およう』といい初志郎と駆け落ちして来たのだった。

 次郎長は、初志郎とおようとの縁を切らせて、横浜におもむき話をつける。

その結果、おようは末廣を出て江尻の髪結い床で働くようになり、植木先生の家に出入りするようになる。

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 4.明治その3 土座衛門(明治26年:18歳):18歳の春 

 

 

 春の彼岸、けんはおちょう、はると三人で梅陰寺へ墓参へ。萬休(ばんきゅう)和尚とはるが席をはずした時に、おちょうはけんに縁談の話を始める。実はこの時、けんは植木先生に恋心を感じていたのである。縁談の相手はなんと初志郎であった。

 

 けんが、防波堤に座っている時、土座衛門を発見する。土座衛門は梅毒患者と思われる売春婦であった。土座衛門を診察に来た植木先生にけんは、「お話があります。」と言うと、明日、医院の手伝いをしてくれと頼まれる。けんが植木先生に思い切って「お嫁にしてくれ」と言って、植木先生もその気になった一番良い時に、おようの出現で知りきれトンボに。

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 翌日、出家して天田愚庵(ぐあん)となった天田五郎が末廣へ。天田五郎は磐城出身で山岡鉄舟により次郎長に預けられ、その後、次郎長の養子になる。その時書いたのが『東海遊侠伝』である。その後、養子は解消。久しぶりの再会で、にぎやかな夕食。

 一方、初志郎はすねて井戸端に。声をかけたけんに初志郎は「おめえと夫婦になると」と言ってくちびるをうばう。

 けんは天田五郎に植木先生のことを話す。天田五郎は次郎長に話す。次郎長は、初志郎を一人前になったら山本家(次郎長)の戸籍に入れるつもりで富士へ行かす。

 次郎長は、けんに植木先生の嫁に行くことを了承する。

5.明治その4 カラムシ(明治26年:18歳):18歳の夏

 カラムシは、茎の皮からは衣類、紙、さらには漁網にまで利用できる丈夫な繊維が取れる多年草の植物である。

 次郎長がカラムシ畑で農作業をしている時に、けんは千畳楼に使いに行った。帰り際、雨に会い、家に帰ったら次郎長が高熱を出して寝込んでいた。次郎長は、一時は平熱に戻ったものの安静にしていなかったためぶり返し、明治26612日帰らぬ人となってしまった。日清戦争の前の年である。

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 次郎長の死ぬ前に戻って来た初志郎は、次郎長危篤を知らせなかったことを恨んでいるだけでなく、富士に行かされたのも厄介者払いと勘違いしていた。

 清水に立ち寄った天野五郎が四国巡礼を提案し、秋にはおちょうと五郎は四国巡礼の旅に出ることが決まった。

解説
 
 明治19年、おけんちゃんがが11歳の時から、明治26年の次郎長さんが亡くなるまでの話ですね。この頃の次郎長さんはかなり任侠の世界での有名人であったばかりではなく、経済界の実力者だったようです。
 「海の鈴与、陸の次郎長」と呼んだ人もいるそうです。
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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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