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7.『薄墨の笛』と浄瑠璃姫の話
浄 瑠 璃 姫 の 物 語
 
 三河の矢作に居を構える兼高長者の許に、京から平泉へ向かう金売り吉次の一行が宿泊する。その中には、元服したばかりの源氏の御曹司・義経の姿もあった。
 宴席で歓待の琴を弾いたのは、長者の娘・浄瑠璃姫である。姫は、年老いた両親が鳳来寺の薬師瑠璃光如来に祈願して授かった一人娘であった。その琴の音に合わせて、義経は親の形見である薄墨の笛の音を奏でた。二人は初対面であるにもかかわらず、その場に互いに引かれあう。そして一夜の契りを結ぶのであった。
 しかし義経が金売り吉次の一向に加わっていたのは、源氏再興の大願を果たすために平泉の藤原秀衡にまみえるためであった。先を急ぐ旅の身、義経は薄墨の笛を我が身の代わりにと浄瑠璃姫に渡し、東へと旅だって行った。しかし浄瑠璃姫の思いは断ちがたく、ついには義経の後を追って家を飛び出し、東へ向かって行った。
 蒲原の宿まで来た浄瑠璃姫は、正八幡のお告げで義経の消息を知ることができた。しかしそれは義経が病を得て亡くなったというしらせ。駆けつけた浄瑠璃姫は愛しい人のために祈願をし、ついに義経は蘇生するのであった。
 なお、駿河地方の言い伝えでは、浄瑠璃姫は牛若丸が忘れられず、悲しみのあまり三河の国に帰る気力も失せ、ついに、この蒲原の地で病に倒れて死んだことになっております。
『浄瑠璃姫の物語』から『浄瑠璃』の誕生まで
 
 浄瑠璃姫の物語は、やがて独特の節回しをつけて語られるようになり、これが発展して出来たのが、のちの「浄瑠璃」という音曲であります。
 浄瑠璃(じょうるり)は、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る劇場音楽、音曲であります。 詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶのが一般的であります。

 浄瑠璃の流派は、義太夫節・常磐津節・清元節など全部で8流派であります。

 浄瑠璃は、上演形態では、『素浄瑠璃(踊り手なしでの上演)』、『人形浄瑠璃』、『歌舞伎舞踊(かぶきぶよう)』などがあります。 

素浄瑠璃
人形浄瑠璃
歌舞伎舞踊
歌舞伎浄瑠璃
昔の久能寺の建物、高源寺(しかも梶原景時の寺)での演奏
(清水歴史探訪より) 

「義経は、どうしてここへ笛を寄進しようということになったんでしょうか?」

 

『義経は浄瑠璃姫に『薄墨(うすずみ)の笛』を渡して富士川のほとりで別れた。浄瑠璃姫は愛知県岡崎の出身の義経の彼女ですね。だけれども、浄瑠璃姫と別れた。別れる時に、この久能寺へ笛をあげてくれと義経が言って、別れたということになっているんですね。

 

この久能寺縁起の中にね、源九郎判官義経、末代の重宝『薄墨の笛』の寄進のことが書いてあるんですね。これですね。」

 

「この笛をもしかしたら義経が弁慶の前で吹いていたと思うとなにか夢が広がりますね。」

 

「そういう感じですよね。その価値にある音が聞こえますからね。」

 

 

 

 

この笛の音は、年に一、二度開かれる演奏会の他、横笛演奏家、赤尾三千子氏の手による音色をCDで聞く事ができます。

 

 蒲原中学校前の松林に浄瑠璃姫の墓とつたえられている石碑があります。また、近くには牛若丸が浄瑠璃姫に文を送った時に使用した清水の跡という源義経硯水(けんすい:すずりのみず)の碑があります。

浄瑠璃姫の墓 蒲原
浄瑠璃姫の墓 蒲原
源義経硯水の碑 蒲原
源義経硯水の碑 蒲原
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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
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TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
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