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6.中村一氏(かずうじ)と『薄墨の笛』

中村一氏 (なかむらかずうじ)?-1600) 

 

 織豊時代の武将。豊臣秀吉に属し,和泉(いずみ)(大阪府)岸和田城主,近江(おうみ)(滋賀県)水口(みなくち)城主ののち,天正(てんしょう)18年に小田原攻めの戦功により駿河(するが)(静岡県)府中城主となる。慶長5年7月17日死去。尾張(おわり)(愛知県)出身。初名は孫平次。 

 秀吉は自分を手助けしてくれる家臣も募集しました。山内一豊、堀尾茂助や加藤清正(寅之助)や福島正則、片桐且元 等と一緒に、その募集に応じたのが中村一氏です。

 関ヶ原の戦いでは東軍に属すが、合戦前に病死。合戦には長男の中村一忠が出陣し、その戦功によって米子城17万5,000石を与えられたが、慶長14年(1609年)に一忠は急死。跡継ぎを欠いた中村家はわずか2代で断絶。江戸幕府により改易された。

清水歴史探訪より)

 

「今、大きな箱を見せて頂いたんですけれども、『薄墨の笛』と書かれていますね。中から木箱が出てきました。黒い入れ物に入っていて」

『薄墨の笛』を持ってきてもらいました。
『薄墨の笛』の入った箱です。
箱に『薄墨』と記載されております。
住職(方丈さん)に開けてもらいました。
笛を取り出したもらいました。
少しアップで撮らしてもらいました。穴の中が赤いのに気が付きましたか?
穴の中が見えるように思いっきりアップで撮らせてもらいました。
『薄墨の笛』が入っていた筒です。
どうもありがとうございました。

(清水歴史探訪より)

「はい、これ以外にね、いくつもの筒があるんですけれどもね。この筒が、一番笛の為に良い筒だと、中村一氏(かずうじ)という駿河の城主、徳川家康の前の豊臣家の時代の武将が、考えたのです。中村一氏(かずうじ)という人は駿河国の駿府14万石を拝領した人で、歌舞伎の勘三郎さんが中村一氏(かずうじ)さんの子孫ということです。勘三郎さんには、この笛の裏からちょっと、漆(うるし)を足してもらったことがあります。」

「赤い色をしていますね。」

「これは元々赤い色ですけれどもね、何百年と経つとどうしても漆(うるし)が取れて、笛の穴が大きくなってしまいますからね。漆(うるし)がとれたら、笛が鳴らなくなってしまいますからね。漆(うるし)を中に入れてもらっております。」

「長さがこれ30㎝、40センチぐらいありましょうか。」

「これはもうね、笛の大きさというのは皆決まっていますからね。笛の大きさというのは、みんなこういう大きさです。」

「これ、笛の材質はなにで造られているんですか?」

「竹ですね。そしてこれは桜のね、山桜(やまざくら)という秋田のほうにある桜の皮(樹皮)ですね。それを上手に削って巻いてあるんですね。(注)これはどうも桜ではなくて、籐(とう)みたいな感じですがね。その当時、修理する時にこれに変わっているんじゃないかとも思うんですけどね。」

 (注)秋田地方の伝統工芸、桜皮細工(かばざいく)(「樺細工」とも書く。)で修理した笛

(清水歴史探訪より)

「では、修理をすでに何回か受けているんですね?」

「はい、何回も修理をしていると思いますよ。これが中村一氏(かずうじ)の時代に治した印。中村の村という字が金で造ったように。」

「一番てっぺんの所に、丸く。判子の様になっていますけれども。これが修理したよという印?」

「はい、中村一氏(かずうじ)が修理したという印ですよね。それはですね、久能寺縁起に書いてあるもんだからわかるんですね。」

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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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