(清水歴史探訪より)
高源寺の本堂は、市の有形文化財に指定されています。木造の重厚な建物ですが、実は元々この場所にあった物ではなかったのだそうです。
「さて、山門を入ってきますと、芝生の向こうに古い大きな建物が見えてまいります。こちらは、どうゆう建物なんでしょうか?」
「こちらがこのお寺の本堂になります。この建物自体は、明治5年に久能寺、現在では廃寺となってしまいましたけれども、久能寺より建物を買い取る形でこちらに建てられました。
明治5年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、久能寺自体はお寺を維持できなくなって、全ての物が建物、中の宝物含め、売りに出されるという形になってしまったようです。
現在のこの高源寺の本堂は、この時久能寺から買い取った物で、解体した建物をですね、いかだに組んで、近辺に巴川の下流より運んだと伝えられております。建物、そして欄間は桃山時代から徳川、江戸時代の物であります。本堂自体は、旧久能寺の建物として、市の文化財に指定されております。柱などはそのままであります。
ガラスはさすがになかったと思われますので、当時は障子、もしくは板の間であったのではないかと思います。平成14年の10月に旧清水市より有形文化財に指定されております。」
「欄間がまた意味があるという話がありましたけれども、これはどの辺りにあるのでしょうか?」
「欄間は本堂の中、御本尊様のいらっしゃる内側との境にあります。」
「本堂にお邪魔致します。」
「こちらに欄間がございます。当時は極彩色の色鮮やかな欄間だったと思われます。少し、お香等で黒くなっておりますけれども、文化財修復事業の時に少し綺麗にして頂きました。
この欄間の作りが、はっきりした墨書き等が見つからなかったものですから、形等から歴史研究家の方に判断して頂いた所、桃山時代頃に造られたものではないかと言われております。
この建物より古い、というのはどういうことかと申しますと、この極彩色の物は、お寺にどうも馴染まないと、その方が言われましてですね、欄間の墨の彫刻等が少し削られている所があると。もしかしたら、これは推測の域をえませんけれども、もしかしたら、神社から移築されて、素晴らしい作品ということで、お寺の方に使われたのではないかと言う風にその方は推測されていらっしゃいました。
当時は、お寺の横に神社がということは珍しくなかったですし、お寺としても、鎮守(ちんじゅ)の神様として祀られている神様がいらっしゃいます。」
「色を見ますと、ちょうどこの部分だけ赤い色ですとか、金色ですとか。そして、花の色、青でしょうか?そういった色がまだはっきり残ってますね。」
「はい、当時はもっと鮮やかな物であったと思われます。文化財修復事業を平成14年から16年にかけて執り行ったんですけれども、その時に随分きれいにして頂きまして、それでもうここまで残っておりました。」