1.法岸寺・鵜飼義昭さんを訪ねて
私の事務所から『法岸寺』までは近くです。歩いて行ってみました。
(清水歴史探訪より)
清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~
毎月第二土曜日のこの時間は清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
7月最後の日曜日、清水区入江の商店街では、朝顔まつりが開かれました。
会場は、商店街を一歩入った所にある法岸寺(ほうがんじ)です。
蝉しぐれが降り注ぐ境内には、出店(でみせ)が並び、子供達の描いた絵が飾られました。法岸寺の境内は、普段とは違った賑やかさを見せています。
お寺の由来について、伺いました。
「浄土宗の紫雲山江照院法岸寺(しうんざんこうしょういんほうがんじ)にお邪魔しています。ご住職の鵜飼義昭(うかいぎしょう)さんに伺います、宜しくお願いします。」
「こんにちは、よろしくどうぞお願い致します。」
「このお寺なんですけれども、どんな由来のあるお寺なんでしょうか?」
「そうですね、延徳二年、1490年でございますけれども、今川氏の御関係の方の追善供養の為に、建立したと、昔から言い伝えられております。建立してから、約530年近く経つんですが、本堂は江戸の中期の頃、焼失いたしました。
それから、当寺は昔から「地蔵の寺」として知られており、行基(ぎょうぎ)の作った地蔵尊も祀られておりましたが、太平洋戦争でも全焼いたしました。今のお地蔵さんは昭和の大仏師、松久朋琳(まつひさほうりん)が作ったものです。
昔から浄土宗独特の十夜法要が秋にございますが、東海道沿いにあるものですから、縁日がたって、地蔵祭りなどやっていたようでございます。」
昭和の大仏師 松久朋林
松久朋琳(ほうりん)は、明治三四年(1901)に京都で生まれました。10歳より仏像彫刻をはじめ、昭和六二年(1987)に他界するまで、およそ70年余りの間、仏像を彫り続けました。その間に彫った仏さまの数は、5000体とも8000体ともいわれますが、朋琳自身の口からは、「何体彫ったか覚えてないし、そういうことはどうでもよいこと」という、言葉しか聞かれませんでした。