毎月第二土曜日のこの時間は、清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
江戸時代の茅葺(かやぶき)の本堂と、天然記念物の大蘇鉄(おおそてつ)、大サボテンで知られ、文豪高山樗牛(たかやまちゅぎょう)が眠る清水区の名刹、龍華寺。緑溢れる境内を訪ねました。
「副住職の小倉規敬(オグラキキョウ)さんに、お伺います。宜しくお願い致します。」
「お願いします。」
「大変静かですね。」
「そうですね、富士山の眺めもいいですしね。いいところです。」
「どんな謂れのあるお寺なんでしょうか?」
「このお寺なんですけれども、観富山龍華寺というお寺でございます。
お寺は山の麓に建てられることが多いものですから、山号というのがあります。山号の方が観富山といいまして、富士山を見る山という風にお書き致します。というのも、『このお寺から見る富士山の景色が大変綺麗ですよ』ということで、知られているお寺でございます。
開山したのは、寛文10年ですね。西暦でいうと1670年ですけれども。日蓮宗の僧侶で、常寂院日近上人という方がいらっしゃいます。常寂院日近上人という方は、徳川家康公の側室の、養珠院お万の方が、大変かわいがられた方でございます。元々、山梨県の身延町に『身延山久遠寺』という日蓮宗の本山ございます。その隣に『大野山本遠寺』というのがありますが、そちらの住職をされておりました。ある時、こちらの丘の方に立ち寄りました。『丘から見る富士山の景色が綺麗だな』ということで感動しまして、ここを隠居地と定めたとのことであります。
その当時、徳川家康公の側室の養珠院お万の方(水戸光圀の祖母に当たります。)が、大変、常寂院日近上人を可愛がり、お万の方の猶子(ゆうし:親子関係に近い後援関係)にされております。そういう間柄で、養珠院お万の方の子供同様でありまして、徳川御三家の紀伊徳川家と水戸徳川家の寄進により建てられたお寺でございます。」
「富士山とそれから徳川家とも由来が深いわけですね。」