1.『長者莊』の跡地を訪ねて
清水区にある清見潟公園の一角に井上馨の銅像が建てられていることを知り、場所を地図で確認して向かったものの…公園内をいくら探しても銅像は見つからず。公園にいた方にお伺いしたところ銅像があるのは、長者荘跡地の近くの清見潟公園だと判明。どうやら、清見潟公園は横砂地区と興津地区にあるようで…。興津地区の清見潟公園でようやく銅像を見つけ、撮影することが出来ました。
(清水歴史探訪より)
清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~ 清水歴史探訪~~
この時間は、清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
明治から大正にかけて、現在の清水区興津周辺は政府の重鎮達の別荘地として知られていました。現在、静岡市の埋蔵文化財センターが建つ周辺も、明治の元老の一人として知られる、井上馨侯爵の別荘でした。
当時、別荘の敷地内に住んでいたという柿沼守さんを訪ねました。
「どんなことをなさってらっしゃったんですか?」
「父は一代目(の井上馨の時)から、ずっと執事をしていました。そういう関係で、いろんな政治家とも接したりしていました。二代目の井上勝之助侯は、英国大使やドイツ大使をしておりました。候が、帰ってきてからは日本の式部長官をしてたもんですから、国の大きな行事、国事行為なんか全部取り仕切っておりました。ある日、東京の井上家の本邸へイギリスのウィンザー公が来ました。ウィンザー公は、今のエリザベス女王のおじさんになるはずですけど。その方が来たときは、本邸でものすごい歓迎会を開いたそうです。政治家から軍人、各国の大使まで呼んでパーティを開いた。」
「そういう時に、柿沼さんのお父様が執事としてお仕事をなさったわけですね。」
「そうですね、勝之助のおつきなものですから。自慢気によく『ウィンザー公と握手した』とか。『体が大きくて、手が大きくて』なんて、よく自慢そうに話してました。」