9.家康の遺言
(清水歴史探訪より)
「家康公は今もこの廟所の中にいらっしゃるんですか?」
「そうですね、自分が亡くなったらこの久能山に西を向いて埋葬してほしいという遺言ですので、西の方を向いてですね、建っているわけですね。
西の方には、家康公が最後の10年間を過ごしました駿府城がありますし、それを延長していきますと、愛知県の鳳来寺(ほうらいじ)という所に行きます。
家康公のお父さんとお母さんが、子供ができますようにということで、お子守をしてお祈りされたということですね、そういうお寺なんですね。そういう説があります。三代将軍の家光公が、鳳来寺の東側の方に鳳来山東照宮という東照宮を建てています。
それからこちらから行くと、駿府城があって、鳳来山東照宮があって鳳来寺があって、さらに西の方に、徳川家の菩提寺であります大樹寺(だいじゅじ)という浄土宗のお寺があります。
そしてそれから直線距離で一キロほど西に家康公がお生まれになった岡崎城があります。
それをずっと延長して行きますと京都の方に行くということになります。」
「葬式はですね、江戸の増上寺(ぞうじょうじ)、東京タワーの近くですね。そこで葬式をしてほしいと。
一年経ったら日光に小さな神社を建てて、祀って欲しいと。という遺言を残して亡くなっています。
ここに家康公の御霊(みたま)は最初に静まられたわけです。
ですから、ここから日光の方に神様として移っていく儀式が必要だったわけですね。
当時は土葬ですので、ほとんどご遺体には手が付いてないという風に私は思っています。
ちゃんとした正装を、黒い黒子を身につけられて、正装してこの地中深くにですね、埋葬されているということは、まず間違いないと思います。」