(清水歴史探訪より)
「さて太鼓の音が響いてきましたけれども、ではこの門の中へ、お願い致します。」
「こちらが全体をですね、社殿と言います。そして奥の方を本殿と言いまして、神様がお住まいになっている所がこの所になります。真ん中に徳川家康公が祀られています。右側の方に豊臣秀吉公、左側に織田信長公というふうにですね、祀られております。」
「壁が黒く、金色ですとか、茶色ですとか様々な色が使われていますね。」
「そうですね、基本的には五色の色が使われていると言われております。
五色の色でですね、いろいろぼかしとか、いろいろあれしながらこれだけの豪華な極彩色が施されているということになっております。
それから、ここを造った大工さんがですね、中井大和守正清(なかいやまとのかみまさきよ)という大工さんなんですが、この方が法隆寺の修理をしたことで有名な方なんですけれども、他に京都の二条城の二ノ丸御殿とか、仁和寺(にんなじ)の金堂とか造った人なんですけども、この光ということもね、ずいぶん考えて造っているんですね。
この光がですね、廊下の漆の鏡みたいに光っているんですけども、そこに光が当たってその光が反射して部屋の中にですね、入るようなこととかですかね、今みたいに電気がありませんのでね、自然の光をどうやって部屋の中に取り込んでいくかということもあの工夫していることですね。
そういう建物なんですね。
本殿と、こちらは拝殿と言いまして、一般の人がお参りする所ですね。
そして神様がおられる所と、人がいる所ではちょっと段差がありますね。
神様の方がちょっと高い。
そしてその下でお参りすることになります。
それを、真ん中の石の間という所で一つになるように調整されていると、そういうことになります。
権現造(ごんげんづくり)という造りになります。
江戸時代にですね、権現様と言いますと、徳川家康公が亡くなった後、権現様と言いますとほとんど家康公のことを指します。
そして江戸時代の権現造ということになりますと、では家康公をお祀りするこの久能山東照宮がまあ権現造の一番最初ということになります。」
「まさに家康公の為の設計ということですね」
「そうですね、そういうことになります。」
「そして石の間があるとのことだったんですが、それは石でできているんでしょうか?」
「下の方はね、本来石の間だと思いますけども、ここはですね畳がね敷いてあります。あの石の間で、私達はお祀りを行使すると。
その前の方に神様がおられて、石の間の後ろにお参りする人達がいると。
そういう形でお祀りが進んでいきます。
神様の場所、神主がお祀りする場所、それから一般の人がお参りする場所と、そんな風な見方もできます。
この東照宮の中では、ここが一番中心になる建物ということになります。」