1.次郎長の菩提寺、梅蔭寺を訪ねて
(清水歴史探訪より)
蒲原、由比、興津、そして江尻から府中へ。
清水歴史探訪
毎月第二土曜日のこの時間は、清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
幕末から明治にかけて活躍した人物は、数多ありますが、現在も様々な形で取り上げられる一人が清水次郎長でしょう。しかし、次郎長の残した大きな功績にスポットライトが当たることは少ないようです。
菩提寺の梅蔭寺にある次郎長の墓前で、『次郎長翁を知る会』の田口英爾さんに伺いました。
梅陰寺のバス停
この売店を通って『清水次郎長資料館』や『次郎長の墓』を参拝します。
『資料館』です。
「次郎長が亡くなったのは、明治26年です。西暦で言うと1893年、七四歳で亡くなりました。ここに次郎長と、三人のお蝶さん、それから子分の中心人物である大政、小政、増川仙右衛門のお墓があります。森の石松のお墓も裏側にありますが、これは遺骨が入っておりません。供養塔であります。
ご覧のように、大政、小政のお墓はかなり周りが欠けております。丸くなって、横がでこぼこしております。これは勝負事の時に、お墓の破片を持ってると運がつくと言われているからです。その結果、大政、小政のお墓を削る人がいたからです。これに対し、次郎長のお墓は埼玉県の三波石(さんばせき)という自然石で造られております。大変頑丈ですので、全く欠かれることはなく、ご覧のように当時のままの姿で残っております。」
「今は、あの~、お墓を傷つけないようにということで柵がされておりますね。これからはお墓を保存する為に、ということですね。」
「そうですね、保存ということで考えられております。」
「今でもやはり多くの方がこちらを訪れるんですか?」
「ええ、線香の煙が絶えたことはありません。」