4.赤ん坊を膝に抱いたマリア観音
(清水歴史探訪より)
徳川家康の長男に生まれ、将軍になったかもしれない『岡崎三郎信康』の苔むした五輪塔と、許嫁を守ろうと切腹を迫られた松浦源太郎成清の塚は、大きな時代に翻弄された命の声を今に伝えています。一方、江浄寺の山門の脇には、明治時代に建立されたモダンな雰囲気の観音像も祀られています。
「向こうに、お観音様があります。明治維新の時に初めて大蔵大臣をやった、観音さんの信仰が強かった井上馨侯爵ゆかりの観音様です。これからの時代、平和な世の中になってもらいたいということで、このお観音さんを当時の東京美術学校、今の東京芸術大学の高村光雲(たかむらこううん)先生と岡崎雪聲(おかざきせっせい)先生に頼んで造ってもらったんですよ。」
高村光雲
高村 光雲(たかむら こううん、1852年3月8日(嘉永5年2月18日) - 1934年(昭和9年)10月10日)は、日本の仏師、彫刻家。幼名は光蔵。高村光太郎、高村豊周は息子。写真家の高村規は孫。
「赤ん坊を膝に抱いた観音様ですけれども」
「西洋に憧れた時代だもんで。観音さんも赤ちゃんも西洋の姿をしているんですね。マリアさんのような形しているんですね。」
「なるほど。言われてみると、日本人ぽくないところがありますね。」
「マリア観音なんて言われてるんですね。周りに4人子供がいたんですよ。士農工商、万人平等とね。盗まれちゃったんですよ。あとは、穴だけが残っている。
この時に造ったのが、有名な上野公園の西郷隆盛の犬を連れている銅像です。もう一体が皇居前広場の楠木正成(くすのきまさしげ)の銅像です。これらは皆、明治期最高の彫像なんですね。
井上馨候がね、財をすごく成したもんだから最高級のお観音様を造ってもらったいということで造らせたんですね。
江浄寺のマリア観音について
このマリア観音はかなり芸術性が高く、私は静岡県立美術館にあるロダンの『考える人』に勝るとも劣らない芸術作品だと思っております。(少しほめすぎ?)西洋の姿をしたマリア観音様は一見の価値があります。
そして井上家と江浄寺とが縁があって、それで井上家の方から頼まれて、井上家が祀ってた御堂を復元したわけです。興津に、井上馨侯爵が別荘を持っていたんです。その別荘の中に祀っていたわけです。
興津には、西園寺侯爵の別荘もあったんですよ。その隣に井上馨侯爵がまた別荘を造ったんです。
興津は明治の元勲が別荘を作ったとこが多いんです。井上家は元々長州の人間で、念仏の信者なんですよ、浄土宗の。浄土宗のお寺っていうことで、できれば街中で皆が来るところに祀ってということで、この観音様が江浄寺にあるのです。」
観音菩薩について
仏様は、如来、菩薩、明王、天の4つに分けることができます。
如来とは、悟りをひらいた仏様で、阿弥陀如来・大日如来・薬師如来・釈迦如来などです。
菩薩とは、如来になるための修行中の仏様で、観世音菩薩・弥勒菩薩・千手観音菩薩・文殊菩薩・地蔵菩薩などです。阿弥陀様も、法蔵菩薩という名で修行していたそうです。
次に、明王。明王は、如来が化身したお姿で悪人を従わせるため怖い顔をしています。不動明王・愛染明王が有名です。
最後に、天です。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道の天にいる仏様のことで、七福神の弁財天ほかたくさんいます。
ところで、観音さんは仏様の中で最もやさしい顔をしております。観音さんと聖母マリアさんとはイメージが似ているんでしょうね。隠れキリシタンは、慈母観音像を聖母マリアに見立てていたそうです。下の写真は『マリア観音』とネットで検索したらでてきました。おそらく、隠れキリシタン関係と思われます。
左の写真は、広島市中区にある世界平和記念聖堂の聖母マリア像です。カトリック美術協会会員ドミニコ・中田秀和(1909~1982)の作品であります。