5.龍津寺(りょうしんじ)を訪ねて
(清水歴史探訪より)
酒瓶神社と対になって陣屋を守ったとされる、国道52号線沿いの古刹(こさつ)、『龍津寺(りょうしんじ)』には、領民を思いやったお殿様の物語が伝わっています。
再び、久保田さんです。
「皆さんね、読み方が難しくて…リュウツジって言うんですけども、『龍津寺(りょうしんじ)』と読みます。」
「龍という字と…興津の津ですね。」
「はい。禅寺ですね。いわゆるコウゲ、香という字に華ですね。『香華寺(こうげじ)』と言って、殿様が江戸に歴代の藩主のお墓があるところまで遠くていけないもんですから、ここでお花をあげたり、香を焚いたりしてお参りしたと。そういうお寺なんですね。お殿様とこのお寺とは非常に関係が深い。特に三代の殿様はですね、ここでもって白隠さんを招いて、講話を伺って、そして殿様としての世の処し方について非常に勉強したという。そしてその殿様だけここにお墓があるんです。」
「本堂の中にお邪魔しています。」
「正面があの御釈迦さんです。禅寺ですから、御釈迦さんを祀ってあります。こちらの高いところの右側にある、これが歴代の殿様の位牌(いはい)です。全部で十体あると思います。そして今度こちらの方へ行きますが…こちらは白隠さんが三代昌信公(しげのぶこう)に講話をした台なんですね。」
「白隠禅師使用と書かれていますね。」
「はい。この上でもって白隠さんが昌信公にお話しをしたと。この昌信さんは非常に苦労しまして、三歳で家督(かとく)を相続して、そして大阪勤番、大阪の方へと務めに行ったりその留守の間に新しい家臣が借金をしたり、重税を掛けて、一揆まで起こしたんですけども。それをどうしたらいいか、ということで白隠さんのお話しを伺って、それで非常に白隠さんに傾倒しまして、ここにお墓を作ったというのが謂れの一つなんですね。」
「これがあの昌信公のお墓です。正面はですね、楞伽院殿從五位前房州刺史圓入觀大居士(りょうがいんでんじゅうごいさきのぼうしゅうししえんにゅうしかしだいこじ)と書いてあります。裏側に行きますと、源朝臣(あそん)、松平昌信、享年(きょうねん)43霜卒、霜の卒業の卒ですね。これ、時に明和8年6月27日、身罷(まか)ると。そういうことが書いてあります。そして石道路がですね、明和8年8月に家臣等の遺臣が寄進しております。」
「これは三代目のお殿様?」
「そうです。昌信のね。他のお殿様は全部上野英信寺と西福寺の方に集められております。この殿様のやっていた時に財政の立て直しをかったということで、非常に苦労したということは、皆さんご存知なんですね。ですから、大事に大事にこのお墓を守っていくということで。」
塩の道を守る要衝(ヨウショウ)として、小さいながら固い縄張りを巡らせた小島陣屋とそれを守る酒瓶神社、龍津寺。領民に愛された名君の名前は、今でも地域の人々の心に刻み込まれていました。
お話は小島町文化財を守る会、久保田顯弘さん、深澤進さんでした。今年の酒瓶神社の祭礼は14日(日)。境内では奉納相撲も行われます。
今回は時間の関係で龍津禅寺の中に入ることができませんでした。龍津禅寺の中には、白隠禅師の筆による達磨像や本堂に安置されている閻魔像等、見所がたくさんあるようです。