1.酒瓶(さかべ)神社を訪ねて
国道52号線(清水から甲府へ行く国道)を通り、まず最初に『小島陣屋書院』へ向かい、次に『酒瓶神社』に行きました。案内人は久保田顯弘(くぼたあきひろ)さんです。清水駅から小島のバス停まではバスで30分程度かかると思います。今回、時間の関係で車で行きました。
(清水歴史探訪より)
蒲原、由比、興津、そして江尻から府中へ。
清水歴史探訪
毎月第二土曜日のこの時間は清水区内各地に残された歴史の香りを訪ねます。
今回は、興津川沿いに山梨へと向かう、甲州往還(こうしゅうおうかん)の要衝(ようしょう)だった国指定史跡の『小島陣屋跡』に足を向けました。
国道52号線から、脇道を上ったところにある『酒瓶(さかべ)神社』で、『小島町文化財を守る会』の皆さんにお会いしました。久保田顯弘さんのご案内で、史跡巡りに出発です。
「酒瓶(さけびん)と書いてサカベと読みます。お酒にはあまり関係ないんですけれども。元々、山の上にあった神社なんですけれども、武田勢にやられて、炎上してしまったんですね。その後、こちらの下の方にある字天神(モトテンジン)ってところへ移されました。
その後、ここへ持ってきたということです。
ちょうどあの、陣屋の書院から、丑寅のいわゆる鬼門に当たるんですね。」
「小島陣屋の守り神でもあったということですね」
「そうですね」
「この『手水鉢(ちょうずばち)』ですけれども、初めはわからなかったんですよ。ところが、いろいろ調べたところ、この右側の側面にある文々が書いてあったんですよ。それはね、古今碑銘類集(ココンヒメイルイシュウ)っていう江戸時代の本ですね。その本にこの『手水鉢(ちょうずばち)』の絵があって、そして、その本に書いてあったのです。そこには村人たちが浄財(じょうざい)を集めて、これを造ったそうです。そのようにみんなの力でもって作ったという意味が書いてあります。そしてこの『手水鉢(ちょうずばち)』で手を洗う時に、日々ここで、自分の身を修める決意を新たにする内容の言葉を書いてあります。」
「当時のお殿様と、住んでいた皆さんとの距離というのは、とても短かったようですね。」
「小さな藩ですからね。皆さんと一緒にやったみたいです。」
神社には、お殿様の残した扁額(へんがく)や、家臣らが寄進した石灯籠が今でも残っています。祭礼の際に奉納される相撲の為の土俵もあり、現在でも地域の人々に親しまれているお社(やしろ)です。