5.名勝清見寺庭園を訪ねて
(清水歴史探訪より)
「さて、そのすぐ横の所の窓から、今度は静かな庭園が見えています」
元々は、興津の町に芭蕉の句碑として建てられました。ところが句碑を建てたら不思議に、興津の宿場が寂れました。
この石碑にあたってもしょうがないですが、非常に良くないということで、取り除かれようとしたわけです。
それを見た清見寺の御住職が『もったいないことだ、私がもらっていく。』ということでもらってきたのです。
しかし、住民感情を逆なでしてはいけませんので、『西東 あわれさ同じ 秋の風(にしひがし あわれさおなじ あきのかぜ)』という句が刻んだ方を下にしました。
写真は、裏返しにされた芭蕉の石碑。
上の方は通りますから、橋ですからね。見えない様になっていますが、実は裏方には芭蕉の句が彫り込まれているわけです。」
芭蕉の石碑を起こして写真を撮りました。
『西東 あわれさ同じ 秋の風』
「ちょっとお庭を見ますと、一番奥には滝が落ちていまして、そこから流れ落ちてちょうどヒョウタンの形が歪んだような形の池があります。
その池から流れ出すところに芭蕉の句碑が橋になっているわけですね。」
写真は、池にある芭蕉の句碑が下になった橋のある場所
「本当に、ここには足利尊氏の石もありますし、家康の関係の石もあったり、雑然と石が置いてあるように見えます。
しかし禅寺(ぜんでら)ですから、皆一つ一つの石が仏様だとか、菩薩様だとか、いろんなように意味を持って石が配されているわけですね。
家康の時代、作庭の、庭造りの名手と言われた山本道斉(どうさい)という幕府の庭師、お庭を作る人。この方が設計・施工したものなんですね。」