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3.五百羅漢の牛肉羅漢の話
(清水歴史探訪より)
 
 清見寺といえば、小さな仏様が並ぶ五百羅漢が有名です。羅漢さんたちは、降りしきる蝉しぐれの中、境内の一角に、佇んでいました。
 
 
写真は、羅漢の説明。立札には作者不詳と書いてありますが・・・・・・・・・?
五百羅漢とは
 
 羅漢とは、阿羅漢 (あらかん、サンスクリット:arhat अर्हत् アルハット)の略で、元々、インドの宗教一般で「尊敬されるべき修行者」をこのように呼んでいた。仏教においては、仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢、仏陀に常に付き添った500人の弟子を「五百羅漢」と称して尊崇している。
「これはほとんどの方が知らないと思いますが、元々これは清見寺の物ではありません。
 五百羅漢というものは、この清見寺の末寺で、もう少し東京よりの所なんですがリンカイジ、海に臨む、臨海寺というお寺があったんです。そこの志広(しこう)さんという方が発願(ほつがん)を致しまして、一体一体、つくっては安置していたんです。その臨海寺が明治になって無くなりまして、それで、清見寺に羅漢様を持ってきてここに置いたものです。
 今では清見寺の五百羅漢と言われますが、正確には清見寺の末寺の臨海寺の志広という方と良寿(りょうじゅ)という方の二人の…二代に渡ってつくったのがこの五百羅漢です。現在、五百はございませんけどもね。」 
 
 この羅漢さんを巡って明治のある元老と住職との間にちょっとした事件がありました。 
 佐野明生の説明によると、「真ん中の手間の方の『耳にてをあてて、何か考え込んでいるような』見方によっては『ただ、ふてくさっているような』羅漢さんが牛肉羅漢さん」とのことでした。
 しかしながら、ボランティアガイドの伏見鑛作さんの説明では、佐野明生さんの説明の羅漢さんより奥にいた『立てひざをした羅漢さん』だそうです。調査の結果、伏見鑛作さんの説明が正しいことが分かりました。
「五百羅漢の最初になる羅漢さんですね。これがそうなんですが、ちょうど耳を、手を耳に当てて、なにか考えてるのか聞いてるかに見えますね。」
「右膝のところに肘をついて、右の耳に手を当ててらっしゃいますね。」
「これを物思いにふけると解釈する人もいれば、何か聞いているんだという方もいますが、興津の方々はこの羅漢さんを『牛肉羅漢』、と別名言うんですね。
 実は、あの明治の元勲である井上馨という侯爵がすぐこの近くに『長者荘(ちょうじゃそう)』という別荘を構えていました。
 その井上侯爵が『これだけ五百も羅漢さんがあるから、一つ、どうしても自分の庭に欲しい』ということで、何回もこの住職にお願いするわけです。
 
 
写真で見ると、一つぐらい無くなっても気がつかないのでは?
 
 
 そうすると住職が、『清見寺にあるから五百羅漢は意味がある。いくらあなたが日本の国の位人臣(くらいじんしん)を極めた人であっても、それは相応しくない』とつっぱねるわけです。
 言われれば言われるほど欲しいものです。当時明治になりまして、牛肉というものを食べる、今でいうすき焼きでございますが、これが流行りました。井上侯爵がこの和尚を招待いたしまして、牛肉を食べさせました。
 
この当時、牛肉を食べる和尚さんて、かなり生臭坊主では?
 
 そして頃合いを見て、『実は和尚、あの羅漢を一つ欲しい』という話をいたしました。和尚さんはカンカンになりまして。『和尚騙して牛肉食わせ、そんなに羅漢が欲しいのか』と紙に書きました。そんなことがあってからは、この羅漢さんのことを『牛肉羅漢』という風に興津の町では呼んでいるわけですね。」
 いつ頃書かれたものかは分かりませんが、伏見鑛作さんが『清見寺ごあんない』と書かれた坂本ひさ江の文章を見せてくれました。これには次のように書かれておりました。
 
 仏殿の左手、裏山の斜面の草むらに、羅漢さん達はてんでなお姿で鎮座ましましている。枯れきったススキが二、三本薫風(くんぷう)に揺れている。これが実にいい。野仏の感じを巧まずに演出しているのだ。
 泣き羅漢。笑い羅漢。おこり羅漢。瞑想に耽ける羅漢。人間の持つさまざまな表情を見せるこの群像は、見る人の魂に安らぎを与えてくれるのだ。私の好きなお方は、両掌をひろげて肩をすくめ「どないもなりません!」と言っているような現代的で身近な羅漢さんである。
 
 この羅漢さんにも面白い逸話が残っている。
 明治二十九年のお話しである。清見寺の近くに「長寿荘」という別荘があった。ここの主(あるじ)で政治家の井上馨(かおる)が、この五百羅漢の一体を自分の庭に置きたいと考えていた。そこである時、住持の宗詮和尚を水口屋に招き御馳走をしてこの話を持ち出したのである。和尚は何とも返事をしなかったが、一枚の短冊を残してさっさと寺へ帰ってしまったという。

和尚をだまして牛肉食わせ
そんなに羅漢がほしいのか
 
 宗詮和尚は気骨のある方で、数々の逸話が残されているが、痛快な話である。その時危うく難をのがれた羅漢さんを土地の人々は「牛肉羅漢」と呼んだそうである。立てひざをして姿のいい羅漢さんがそれである。この羅漢さん達も、もとは末寺の臨海寺の僧の発願によるものだったそうだ。
 
 さて、ぼんやりと時をすごしていると、亡き父や弟の顔を探している自分にふと気づく。あの羅漢さんの背の辺りは父に、あの羅漢さんのほほ笑みは弟にと……父ともう一度話したいなあ。弟には、三つほど謝ることがあるのです……「もう帰ります」と心の中で言い、ごとごとと石の後生車を回してからさよならをする。

 

三界萬霊塔

 

 三界とは、欲界、色界、無色界の3種の世界である。欲界とは、食欲、性欲、睡眠欲などの欲望の世界で、色界は欲望が無くなった世界、無色界は形のあるものからはなれた純粋な世界を指す。萬霊とは、欲界、色界、無色界などのそれらすべてを指し、三界萬霊塔は墓地の入口や中央などに置かれることが多いようである。

島崎藤村の『桜の実の熟する時』について
 
 島崎藤村の作品としては、『破戒(1906自費出版)』と「木曽路はすべて山の中である」で始まる『夜明け前(第一部1929 第二部1935 新潮社)』が有名です。『桜の実の熟する時』は1919年に春陽堂より出版されました。内容は、藤村初の自伝的小説である『春(1908自費出版)』の前の時期を描いた作品となっております。
 藤村(小説では岸本捨吉)と心から尊敬していた先輩である北村透谷(小説では青木駿一)とのつきあいや理想と現実との悩み、文学青年としての苦悩や恋愛が描かれております。藤村の小説は、文章が実にうまくてきれいなのですが、ドラマチック性に欠けはっきり言っておもしろくないのであります。
桜の実の熟する時
 
 思わず彼は拾い上げた桜の実を嗅(か)いで見て、お伽噺(とぎばなし)の情調を味わった。
 それを若い日の幸福のしるしという風に想像して見た。
 
 
 
表紙の裏より
 
 明治20年代に高輪台の学舎に学んでいた主人公岸本捨吉は、年上の繁子との交際に破れ、新しい生活を求めて実社会へ出ていく。しかし、そこで遭遇した勝子との恋愛にも挫折した捨吉は西京への旅に出るーーーーー。作品の行間には少年の日の幸福の象徴である桜の実にも似た甘ずっぱい懐かしさが漂い、同時に恐ろしいほどに覚醒した青春の憂鬱が漂う。「春」の序曲をなす、すぐれた青春文学である。
 
 これは自分の著作の中で、年若き読者に勧めてみたいと思うものの一つだ。私は浅草新片町(しんかたまち)にあった家の方でこれを寄稿し、パリのポオル・ロワイヤル並木街の客舎へも持って行って書き、フランス中部リモオジュの客舎でも書き、その後帰国してこの稿を完成した。この書は私にとって長い旅の記念だ。
 
 
写真は、島崎藤村

明治5年(1872)~ 昭和18年(1943


『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。

無造作に置いてある感じの羅漢さんです。
一つ一つ顔が違っております。

 

桜の実の熟する時

島崎藤村著

 

小高い眺望(ながめ)の好い位置ある寺院の境内が、遠く光る青い海が、石垣の下に見える街道風の人家の屋根が、彼の眼に映った。

興津の清見寺だ。そこには古い本堂の横手に、ちょうど人体をこころもち小さくした程の大きさを見せた青苔(せいたい)の蒸した五百羅漢(ごひゃくらかん)の石像があった。

起(た)ったり坐ったりしている人の形は生きて物言うごとくにも見える。

誰かしら知った人に逢えるというその無数な彫刻の相貌(そうぼう)を見て行くと、あそこに青木が居た、岡見が居た、清之介が居た、ここに市川が居た、菅も居た、と数えることが出来た。連中はすっかりその石像の中に居た。

捨吉は立ち去りがたい思いをして、旅の風呂敷包の中から紙と鉛筆とを取出し、頭の骨が高く尖(とが)って口を開いて哄笑(こうしょう)しているようなもの、広い額と隆(たか)い鼻とを見せながらこの世の中を睨(にら)んでいるようなもの、頭のかたちは丸く眼は瞑(つむ)り口唇は堅く噛(か)みしめて歯を食いしばっているようなもの、都合五つの心像を写し取った。

五百もある古い羅漢の中には、女性の相貌(そうぼう)を偲(しの)ばせるようなものもあった。磯子、涼子、それから勝子の面影をすら見つけた

『桜の実の熟する時』p187より

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