5.隠し階段から蔵の下へ
(清水歴史探訪より)
鉄舟が逃れた隠し階段から、蔵の下の秘密の出口に向かいます。
写真は、隠し階段から藏の下へ向かうスタッフ
「下は蔵ですね。」
「さっき言ったこの閂(かんぬき)ですね。」
「あ、階段降りて左手なんですけれども、ここは本来海がもうすぐ近くに」
「そして、この閂(かんぬき)ですから、上げますね。そしてここに入るようになるわけです。そこ閉まれば、落ちちゃうので。」
「自動的に、オートロックですね」
写真は、奥座敷の地下出口と閂(かんぬき)
「はい、オートロックです。ですから絶対に外からは開かない。中からは出られますけど、閉まっている場合は外からは絶対に破られない様に造られています。そして、あの隠し階段がばれなければ、この下は絶対にもう守られるわけですね。その為にも、隠し階段にして、という蔵に。またここも閂を。」
「一つ開けるとまた出てきて、同じように開けるとまた…」
「これはもう絶対にわからないですよ。これは皆さんにもちょっとお見せできないんですけれども。これは違うところにカンヌキがね。あるんですけどもね、これは見せられないので。」
「あ、全く別の所を今操作して頂いていますが・・・」
「はい、そうしますと開きます」
「これでロックが外れたということで。あ、外が…重い扉ですね。」
「土戸(つきど)ですからね」
「三枚のドアを開けて…」
写真は、地下出口から出たところ
「外へ出ましたが…そうすると…JRの線路ですね」
「ここは今危ないもんですから、フェンスがしてありますが、本来はここに階段がありまして、階段を降りますと今はもうJRですけど、当時はJRから向こうは海ですからね、船はあの辺にあったんでしょうかね」
写真は、地下出口を出て駿河湾の方向を見たところ
「あ、もう20メートルも行けば海の水に…今は線路が二本複線で走ってますけども。その向こう側は壁は防波堤であったという」
「そうなんです、それは明治になってからですからね。」
「ではもうここから鉄舟さんは脱出したという」「はい。…今日は富士山が見えないですね。本来はあちらにあるんですけれども。」
「左手の方に本来は富士山が見える…ちょっと曇ってしまいましたけれども。では絶景だったのでしょうね。」
先祖から伝えられた拳銃の由来を、宝蔵氏がその場面の挿絵を添えて書き残した巻物
巻物の一部
この蔵がなかったら、清水次郎長との不思議な縁(えにし)がなかったら、そして、鉄舟がここに助けを求めなかったら、明治維新の形は変わっていたのかもしれません。駿河湾の波音は遠くなったものの、『望嶽亭』は現在でも霊峰富士と駿河湾を望みながら佇んでいます。
『望嶽亭・藤屋』は予約をすれば見学することができます。
ご希望の方は、電話054-375-3486までお問い合わせ下さい。
清水歴史探訪、お相手は石井秀幸でした。
この番組は、さつき通り沿いJR清水駅近くのいそべ会計がお送りしました。
いそべ会計について、詳しくはHPをご覧ください。
『望岳亭・藤屋』23代目の当主・故松永宝蔵氏が描かれた『東海道は日本晴れ』からなじみの深い部分をコピーいたしました。
東海道は日本晴れ
五拾三次道中記
文・絵 松永宝蔵
表紙
表紙を開けると
中表紙
日本橋
蒲原
由井
興津
江尻
府中
塩の旅
甲州街道旅日記
文・絵 松永宝蔵
裏表紙
奥津
八木間
谷津
小島
但沼