1.『お休み処』を訪ねて
(清水歴史探訪より)
蒲原、由比、興津、そして江尻から府中へ
清水歴史探訪
毎月第二土曜日のこの時間は、清水区内の各地に残された歴史の香りを訪ねます。
今回も前回に引き続き、蒲原の旧東海道を下っていきます。
途中、街道を横切る小さな流れに出会いました。昔の旅人や馬も、ここで喉を潤したのでしょうか。そ して、その先に、『お休み処』という看板を出した古い建物があります。駿河裂織(さきおり)倶楽部理事長の朝原智子さんにお会いしました。
「こんにちは。今、私達が座っているこの建物なんですけれども、とても古い感じなのですが、これはどういう建物なんですか。」
「そうですね、約180年になりますが、1830年~44年くらいまでかな。旅籠をやっておりまして、蒲原で一番古い旅籠(はたご)跡でございます。
旅籠跡というものは安政地震の時にほとんど壊れまして、ここだけ残ったものですから、周り46軒程の旅籠があったそうです。
写真は、お休み処にあった旅籠後の看板です。
まあ、この旅館はですね、前が本陣さんですので、偉い方が泊まった旅館だと思います。」
「ちょうど今、前の通りが旧東海道なんですか?」
「そうですね、ずっと以前はもっと浜の方にあったのですが、やはり台風の被害にあって、それからずっとこちらが東海道になっておりますね。
昔は堤防も低いですから、台風が来るとすぐにやられてしまったと思うんです。それで、だんだん上の方へとみんな上がってきたようです。
この前の本陣さんなんかは明治天皇が泊まったりなさったそうです。その時は街の人がみんな出て、灯りを持って護衛したとかというお話も伺ってます。残念ながらその当時の資料が残っていないので、当時の街の様子がわかりませんが」
「では、たくさんの旅人がこの前を行き交ったわけなんですね。」
隣のタバコ屋さん。
『和泉屋』の名前で出ています。
タバコ屋の隣の『お休み処』
中に入って最初の写真。
「ここから、吉原までの宿(しゅく)はちょっと長いもんですから、中々『お休み処』というのは繁盛したようでございます。」
「当時、なんという屋号だったのですか。」
「『和泉屋』という屋号です。現在ここは市の施設で『お休み処』になっておりますが、隣のタバコ屋さんと二軒を二つに分けております。」
「昔は一軒の旅籠(はたご)だったわけですか。」
「そうですね、明治の終わりに本陣制度が廃止になった時に、間口(まぐち)で税金が決まったものですから、分かれたようでございます。」
「当時の節税対策だったんですね。」
「そうですね、俗にいう『鰻の寝床』のようにこう長くあるんですよね。この建物は二階の手摺(てすり)がちょっと特殊でございまして、くし型の手摺、これはちょっと見受けないですよ旅籠(はたご)では。是非見て頂きたいと思います。」
「では建物の中を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞご覧くださいませ。」
様々な見所のつまった旧『和泉屋』。すぐに最初の見所です。
「これ変わってる階段で、『階段箪笥(かいだんだんす)』なんですが、全部引き出しにならないで、一部の家財箪笥になっています。変わってますね。」
「今階段の前にいるんですが、階段の一段と二段目のところの下が引き出しになっているわけですね。ちょうど箪笥かなんかの上へ上っていくような。」
「そうですね、普通はこれ全部引き出しになるんですけど、ここはちょっと変わったおしゃれな所になっています。」
「そしてその上に普通の階段がついているような…二段構えの感じになっているわけですね。やはり昔の階段なのでちょっと急ですね。」
「急ですよね。上りも下りも怖いから皆さん必至で手摺に捕まって降りられますけどね。」
「では、上っていきます。」
写真は、階段を登って最初に目についた江戸時代のベランダです。